ジャスミンの心づかい

金曜日の夜はミーティング。
座って作業をしていると、なんだか慣れない匂いがプンプン。トイレからか?違う…自分の服から?スタッフの服?道路を挟んだ植木が花を咲かせていて、窓を通り抜けて?スタッフが帰り一人になっても匂いがとまりません。

深夜にレセプトの準備を終え、帰宅しようと玄関に行くと匂いが強くなり、匂いの元をたどると、ジャスミンが生けてあるのを発見しました。

匂いの正体は白一点のスタッフからのお花の差し入れでした。
ありがとう〜。こういう優しさに触れるとほかの全てはどうでも良くなって、みんなで仲良く幸せになれる治療院運営を目指そうとおもうんですよね😃ジャスミンにやられてうれし楽しくゴールデンウィークを迎えることが出来ました❣️

本物の仕事を目指して

今年もいっぱいありがとうございました。

勉強はなかなか遅々としてすすんでいませんが、それでも、身体の元気を手助けするのに、鍼灸治療が有効なものだと確信を深めるくらいにはなりつつあります。お正月休みに読書が進むと良いのですが…

コロナ禍で仕事が減ったことで、以前よりのんびりと仕事ができるようになりました。次の仕事を時間の余裕をもって入れるようにできるようになったからです。
仕事が減っても終わる時間は変わりませんが、おかげで少し腕が上がったように思います。

私のマッサージは、筋肉を揉み解すというより、肥厚してねじれた筋膜を正常に近づけるというイメージで取り組んでいますが、そのために優しい、皮膚を探っただけで、そのまま治療が完了してしまうという事をなんどか経験することができました。
膝が痛くて歩けないという方が一回の施術でもう痛くないと言われたのには、こちらがびっくりしました。
もっともこの方の膝の痛みというのが、大きな器質的変化を伴っていなかったからなのですが。

そんなこんなで、ほんの少しの心の余裕が、状態観察の丹念さに結びつくことをしみじみ実感した一年となりました。

しかしながら、時間にゆとりを持つということが、実は新型コロナウイルス対策に一番必要なことの一つなのではないかと考えたりしています。
というのも、新型コロナウイルスの感染対策には、とにかく時間がかかるからです。
入室前後の手洗い、消毒、マスクの着用でのコミュニケーションの取りにくさ、検温など、ほんの少しの時間とはいえ、滞在時間が30分前後だとすると施術時間に食い込み、施術を圧迫してしまう時間なのです。

それで今まで決めていた施術時間をあまり気にかけないように、できるだけゆとりのある時間設定にすることに変えるようにしてきました。

様々都合で、どうしても時間の制約から自由になれない時も多くありますが、新型コロナウイルスの感染拡大そのものが、隣町に行くように飛行機で世界中を移動したり、日本中を移動してたりしたためにこんなに一気に世界中に感染が拡大したのです。
わたしは、この事態を自然の摂理に反した人間への地球からの警告ではないかと受け止めているので、風を感じ空を見上げて、道端の花々を愛でながら、訪問の仕事を楽しむように気持ちを大きく切り替えるよう心がけています。

また、新型コロナウイルス感染拡大は、医療のあり方も大きく変え、それはもう元には戻ることはないのかと思います。
自分にとって必要かどうかより、言われるがままに、あるいは「得」な感じがするというような身体が必要としていない医療は、次々と後回しにされていきました。
私たち訪問マッサージもあってもなくてもいいけどというような仕事は次々とお断りをうけました。中には断るチャンスを探していたところにお断りのチャンスが来たというようなこともあったように思います。
全ての医療業界がこの洗礼を受け、コロナウイルス対策以外の医療費は大きく削減されたされたのではないかと思います。これはとてもいいことではないかと思いますが。

コロナウイルスの感染拡大を機に、効率優先で置き忘れてきた心を中心軸に代え、本物の医療として残っていく仕事を追求してゆかねばと考えながらの一年となりました。

来年からも、この洗礼に耐えうる本物の仕事を提供を追求していきたいと思っています。
どうぞよろしくお願い致します。

人生初体験!

世界が未曾有の経験に飲み込まれいます。そんな中ついにわたしも人生初幽体離脱からの生還に関わることができました。

心肥大、慢性閉塞性肺疾患から来る呼吸苦に苦しむ92歳の患者さん。少し動くと血中酸素濃度は90%を軽く切ります。
マッサージでなんとか、呼吸補助筋の疲労を回復させ、身体中の浮腫(心臓のポンプ作用がいっぱいになるとオーバーフローを起こし、全身浮腫になります)を1ミリでも軽減し、心臓の働きや呼吸をを楽にさせるのが私の主な仕事です。もちろん動きにくい手足が軽く動くように整えるのが一番の依頼理由ですが。

そんな中、近頃は心肺機能の低下がさらに深刻になってきていて、先日訪問した時には、二日前から苦しくて酸素濃度が90%を切っていることが続いていて、水さえ口にしていないというのです。

なんとか様々試しながら、一番呼吸を邪魔している筋肉を見つけるべく施術をし、血中酸素濃度が93%になったところで、少し元気になってこられたので、おいとましましたが、ゴールデンウィーク前でもあり、サービスが手薄になる連休の間命がもつかなぁと心配しながら帰り着きました。

そして、その二日後、この方は週二回訪問させていただいているのですが、伺ったら、ご家族さんから、


「こないだマッサージが終わった後、急に元気が出たらしく、自分で、食卓まで歩き、置いておいた朝ごはんのおにぎりを食べてたんや。
その前の二日間、水も入らへんかったのに。ほんで、その間、本人は何にも覚えていなくて、韓国に先祖の墓まいりに行ってたというんや。

幽体離脱してあっちに行きかけたけど、先祖からもっと苦しめーとおいかえされたんや。

マッサージはどこか、あっちから戻す特別のツボがあるんか?」

と言われるのです!
言われた私がビックリです。
幽体離脱❗️からの生還❗️

本当のことは誰にもわかりませんが、もし私が生還の手助けが出来たのならこれ以上うれしいことはありません。

新型コロナウイルスの感染源として、マッサージの訪問を心配される方がいらっしゃるのは当然の事で、その中でも訪問の継続を希望してくださる方々には、感染の恐怖以上のものがお返しできますよう、心から精一杯の施術に努めたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

そしてこの話はまだ続く素晴らしいおまけ付きです。
この日ご家族さんと支援金10万円の話になり、これは生きてないともらえないからと話していたら、ご本人さん。
「いつや?6月か?そんな早く死なへん。大丈夫や」と力強く話されて、私とご家族さんを驚かせてせてくれました!

住民票がある人みんな、一律ってなんてステキなんでしょうか。安倍さん。ありがとう😊ってこのコロナ禍で初めて思いました❣️

いろいろ立場や考えの違いはありますが、みんなで幸せ時間目指して、元気を出してがんばりましょう😊😊

「死んでもつきあいしてや」

「死んでもつきあいしてや」

106歳の患者さんは、あの地震の日以来すっかり体調を崩されていて、主治医の先生からもお迎えが近いだろうと言われています。

訪問する時も、お顔をみるまでは大丈夫かなとドキドキです。先日は、定期訪問ではない日にもかかわらず、心配で様子を伺いました。思ったよりお元気で、声もしっかりしています。すると、ほっとした私に「死んでもつきあいしてや」とおっしゃいました。

「………?」

まだまだいてやと言うのが精一杯でしたが、こんなことを言われたこともなく、真意がつかめません。今から思うとちゃんと尋ねてみれば良かったなと思いますが、不意を突かれて返答に窮してしまったのです。

「死んでも」の「つきあい」とは、お墓まいりやお葬式のことなのか、あの世とこの世で交信するということなのか、自分があの世に行っても私の心の中に置いておいておけということなのか。

いずれにしても、私につきあい続けてと言ってくださっている有り難い言葉に変わりはないように思います。

お迎えが来る前に確かめておきたいとは思いますが、こういう話は旬が過ぎると同じ会話にはならないのが常なので、もう一度ご本人の口から同じ言葉が出るのを待つしかないかもしれません。

とはいえ、
「死んでもつきあい」させてもらうので、もう少しこちらにいてもらえると嬉しいなと思います。

106歳の患者さんには翻弄されっぱなしですが、それが、私にとっては大きな魅力なのかもしれませんね。

この日はこの後お世話してはる姪御さんがいらっしゃって、元気な頃にどんなに酷い人だったかを聞かされました。
長い人生について考えましたが、前半部分だけで、終わりました。お迎えが来た後にいつか書きたいなと思います。

母が亡くなり事あるごとに母親の言ってたことを思い出します。
亡くなった人に対して「心の中にいる」から寂しくないとよく聞いてきてもピンと来なかったけれど、こういうことかとようやくわかった気がしています。

患者、呼び方

気がつくともうすぐ11月も終わりです。

紅葉🍁が見頃を迎えている京都の街には大勢の観光客が訪れています。
こんな京都にいて、私は仕事の移動中にみる小さなお寺や神社、大学や街路樹の紅葉に心癒される毎日です。

先日、知り合いの方が「患者様」という表現についての’17.10.12 週刊新潮の記事を紹介して下さいました。
『医の中の蛙』里見清一氏の記事です。


「患者さま」何様
と題されたその記事には、
患者さま撲滅運動を始めて、この汚らしい言葉と戦って10年近くになるが、戦局は芳しくない。と始まります。

この言葉は、2001年に厚生労働省が「患者の呼称は『さま』を付するのを基本とすべし」という通達に始まったそうです。本来の通達は、「患者の◯◯さま」という趣旨だったのが「患者さま」として広がったのだそうです。

そもそも「患者」という言葉自体が悪い印象のある言葉なので、「さま」をつけても敬うどころかおちょくったようにしかならない。

その上に、「患者さま」とは「お客様」の意味になるが、「患者」は、例えお金を払わなくても患者であり、消費者として扱うのは、志をもつ医療者としておかしい。

また、倫理的にもおかしい。医療者は、有限な医療資源をどう振り分けるかの判断をしなければならず、そこに「お客様」の出番はない。

それから、心理的にも「客扱い」された患者自身が「客」と勘違いし、医療に対する不満をぶちまけたり、治療に対する主体性を失う「客」になることは、本人が一番困ることになる。

のだそうです。
でも若い医療者の中にはこの言葉を当然のものとして受け入れている現実があるのだとか。
それでも里見清一氏は、「患者さま」を受け入れがたく奮闘されているようです。

ここに書かれていることは、全てが納得がいく、私の言葉遣いを考え直す必要を感じさせてくれるものです。

でも、老人医療の真っ只中にいる私は、
「どうやっても助からない」患者の訴えの多くが加齢によるものであるが故に、医療の対象になりにくく、でも実際にはビジネスの有用な道具になっている現実の流れに棹差すためにもあえて「患者様」と表現してきました。

もちろんそれは私自身への戒めも込めてのことです。

しかしながら、この文章に出会ったことだけでなく、他の様々な要因からも、訪問マッサージについて、自分自身の関わり・治療の軸・表現の仕方について、もう一度考え直さなければいけない時期に来ているのかなと思う今日この頃です。

ただ、なかなかいい表現が見つからないんですよね🤔

東洋療法推進大会 仲泊聡先生の特別講演会

9月24日に東洋療法推進大会が京都で開かれました。

大会のテーマは、
先端医療と伝統医療の融合〜未来への期待
として、
特別講演に、
「iPS細胞による網膜再生とロービジョンケア」と題して、理化学研究所 網膜再生医療研究開発プロジェクトの 仲泊聡先生がお話して下さいました。

『網膜は身体の外に突出している脳の1部と称され、その比較的単純な構築と体表面に突出している点が扱いやすく中枢神経のモデルとして使用されます。
最近まで障害されると再生しないと思われていた成体哺乳類網膜が、少なくとも傷害時に網膜神経細胞を生み出す力を持っているらしいことがわかってきました。このことは、成体網膜も神経回路網を再構築する能力を秘めているのかもしれないと期待させます。
この力を使って網膜の中からあるいは外から細胞を移植することによって疾患で失われた網膜機能を再生させたいこれが我々の目標です。しっかりした基礎と臨床の研究を積み重ね両者を踏まえた網膜再生研究を行いたいと思っています。』

これは先生が書かれた講演紹介の文章です。

網膜再生の話はとても専門的なので、少し長くなりますが、先生のレジュメをそのまま引用させていただきます。

『最近まで障害されると再生しないと思われていた網膜をiPS細胞を使って再生する試みが始まっています。
我々の研究チームが、現在行っている網膜移植治療はiPS細胞から作った網膜色素上皮と言う細胞を加齢黄斑変性という疾患の患者さんの目に手術的に植えるものです。2014年9月12日に世界で初めてこの治療を受けた患者さんの経過は順調で、現在さらに改良を施して別の患者さんへの治療が行われています。』

加齢黄斑変性というのは、見ようと焦点を当てたところが暗く見えたり、歪んで見える疾患で、網膜の中心部分である黄斑部が変性するのだそうです。
iPS細胞による再生治療では、網膜の最も上にある網膜色素上皮細胞を再生し、シート状に培養したものを移植するのだそうです。

臨床の実際にこの疾患が選ばれたのは、iPS細胞の移植は、癌化する危険性を伴うため、過去に癌化したことのないこの網膜色素上皮細胞が選ばれたのだそうです。

初めてのiPS細胞の人への移植から2年半が経過し、経過観察の要点は、癌化していないか、ということと、視力の向上を期待しているということでした。

現在の評価としては、

・拒否反応は起こっておらず、癌化していない。
・視力は検査では変わりないが、時に見える時もある。
・移植以前はVGSという注射により、視力を維持してきており、それをしないと検査で良くない結果を得たが、移植後は一度もその注射をしていないが悪化していない。
・形状的には移植以前より正常に近くなっている。
・移植片のある視細胞が働くようになってきている
ということで、治療としては今のところ大成功という評価なのだそうです。

しかしながら、このように再生医療を追求して行くことは、障害自体を否定していくことに繋がるのではないかと考えていると仲泊先生はおっしゃいます。
視力障害がある限りそれは良くないことで、視力障害の方の未来は見えるようになる未来が一番いいことだという考えに繋がるというのです。

見えないということにおける未来にも様々な選択肢・希望の持てる未来を提示していくことが大切なのだと。
また、再生医療が進めば、視力障害はなくなるかというとそうではなく、

『全く見えなかった人がわずかに見えるようになると言う事は十分可能ですが、普通の視力に戻る事はまだまだ当分実現しないと考えられています。この不十分な見え方により生活にまだ支障を残している状態を私たちはロービジョンと呼んでいます。

しかし、その違いは大きく、また得られたロービジョンをいかに生活の効率改善に結びつけるかということは、術後の患者さんの生活の質に大きく関わります。われわれは眼球に修正を加えるだけでなく情報提供と訓練によっても視覚障害者の社会参加を促すことを目指しています。本年12月1日に開業予定の神戸アイセンターでは、研究・眼科臨床はもとより二階のビジョンパークで視覚障害者支援のための啓発活動を行う予定です。』

とロービジョンケアについて、本当に熱く語って下さいました。単なる眼球の治療に終わらず、サロンのようなスペースを作り、情報提供・情報交換の場の提供をして行きたい。中でも視覚障害者の就労支援に特に力を注いで行きたいと考えていらっしゃるということでした。

それは

『就労は、視覚障害によって失うことの多い、所得、所属、生きがいの全てを同時に取り戻す可能性を秘めています。これを実現するには、見えない、見えにくいことで苦手となった、移動、読字、表情把握を何らかの方法でカバーしする必要があります。これまで、そのような状況に置かれた視覚障害者を支えてきた就労支援の代表が東洋療法であるあんま・マッサージ、鍼灸であるといえます。』
ということなのだそうです。

ほとんどが先生のレジュメからの引用になりました。

私が短くまとめるにはあまりに失礼な気がするくらい大きな情熱で、今年12月に開業予定の神戸アイセンターについて話して下さいましたので、そのまま引用させていただきました。

世界中が注目し、その権益を手にするために世界中が躍起になっている医療の最先端に関わり活躍されている先生が、目の前の患者様の奪われた未来や希望を支援する方法を考え、実行に移されているという事実に言葉を失うくらい驚きました。
iPS細胞の再生医療について、もっと具体的に聞きたくて質問まで考えていた私の頭をガツンとやられました。

目の前の人を幸せに出来るのは、本当は科学技術の進歩ではなく、それを支える心のありようなのだとしみじみ考えさせられる素晴らしいお話でした。

私たちマッサージ師は、患者様から、医師の診察や薬よりも、一番大切な時間だと言って頂けることがあります。
置かれている立場の厳しさがついつい頭をよぎり有り難いお言葉だけど、本当かなぁと素直に受け止められないこともよくあります。
でもiPS細胞の移植に携わる医師であっても、その治療を施しているという事実より患者様の実際的な問題の解決に向けたサポートを大切にしたいと考えられるのですから、実際的な力になれるということをもっと誇りに感じ、患者様の感謝の言葉を大切に受け取らなきゃいけないと深く感じさせていただいたお話でした。
目の前の問題解決に少しでも力になれる自分の手技を大切にし、益々精進したいと思います。
また、視覚障害者の就労支援の大きな一つとして保護されてきた我が業に理解を持ち、自分の果たせる役割を果たして行きたいと思いました。

仲泊先生、それから大会の準備をして下さった鍼灸マッサージ師の先生方に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

また、いつか一度は必ず、神戸アイセンターを訪れたいと思います。

お盆休み/17日から通常営業

お盆休みをいただいております。

網野に海水浴にきました。あいにくの雨ですが、海は穏やか。波のり遊びを楽しんでおります。

また、17日からは通常営業に戻ります。
どうぞよろしくお願いします。

生命のリズムは波のリズムに比例するそうです。
海は命の源。心が穏やかになります。