最終回 呪縛からの解放5〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

呪縛その4 コリは揉みほぐすもの。強い力で揉めるマッサージ師は上手い。

「もっと強く揉んでと言われたら、ジーパンの上からでも、例えベルトの上からでも、にっこり笑って押さなあかん」

私が最初に按摩を教わった師匠に言われた言葉です。

「按摩を買う」こんな言葉がまだ生きていている時代(今もそういう風潮はあるのかなとも思いますが)お客さんからバカにされないように、技術が誇れるように、絶対にコリに負けないで押さなければならないと教えられました。(わざと固い衣類を身につけて試すようなことをするお客さんもいたのかなと思います)

按摩を始めたころは、コリに負けずに押し続けたせいで、翌朝は腫れた親指が痛くてものがつかめませんでした。
それで、毎晩、仕事が終わった後は、流水で指が痺れるまで冷やしていました。(これも師匠から教わりました)

そのおかげで、私の親指の関節は、見た目に変形しているとわからないくらい真っ直ぐです。

でも実際には、突き指状態に関節の間を狭くして、体重を乗せれば一本の棒のようにコリに突き刺さる道具のように変形させています。ですから、この指はそんなに強い力で押さなくても、まっすぐに圧がかかるように作ってあります。このように変形さすのに、3年くらいかかったように思います。

私の師匠は男性で力が強い人でしたが、その師匠の師匠という人は、小柄な女の方でした。しかし、とても指が強くて、背中を揉んでもらうと、まるでコンパスの針が背中にプスリと刺さり、クルクルと回っているように繊細にコリに指がまっすぐに入ってくるそんな指でした。

最終的にはその女の方に教えていただいたので、私にとってコリを強い力で揉みほぐすというのは、按摩師としてプロの証明のようなものでした。

私自身が、強く揉めることを追求してきたので、この呪いに気がつくまでとても長い時間がかかり、その事に気がついてからも、強く揉んでほしいと言われると必要ないと言えず、どこまで強い力でほぐすべきかまだ模索中です。

しかしながら、必要以上に強い力で揉むことは、身体に新たな別の問題をもたらす可能性が高いことは明らかなように思います。

強く揉みすぎて、翌日に筋肉が炎症を起こすということがよくニュースになっているように思いますが、それは、多分、その多くの場合は、筋肉の走行を無視し、筋繊維をぶった切るように押圧しているためであって、強い弱いというような問題ではなく、按摩術の基本から外れているから起きる事故ではないかと考えています。(習いたての頃の私がそういうことが絶対なかったとは言い切れないのですが…)

そうではなくて、

コリというのは身体のバランスがなんらかの理由で崩れた結果の不快感であり、そのコリを他の原因を考えずに、その局所だけを丹念に強く揉みほぐした結果に起きる問題について考えています。

例えば

うちのスタッフの患者さんの話です。

若い頃にアキレス腱を完全ではないけれど、断裂した患者さんがいらっしゃいました。
手術をせずにそのままにしておいた足は、つま先立ち歩きになっていて、そのためかその側の肩がこるというのが主な訴えでした。ご本人はとにかく肩を揉んでほしいと言われます。
肩を強く揉むと、満足されるので、施術時間の半分を肩の施術に充て、残り半分で他の部位を施術するようにしていたそうです。

しばらく問題なく、訪問を楽しみにして下さっていたのですが、3年をくらいすぎた頃から、アキレス腱を断裂した側の股関節の痛みを訴えられるようになりました。

股関節痛というのは、先天的な形成異常やスポーツでの過剰な使用や外傷以外があれば別ですが、日常生活で痛めることが少ない関節です。アキレス腱の断裂は何十年も前の出来事であり、そのためとは考えにくく、肩凝りを重点的に揉みすぎて、身体のバランスが崩れたためではないかと考えました。

一般的には日本人の体型で下肢に問題がある時、股関節を外転させ、筋力不足を補います。股関節が開くと肩関節は、そのバランスを取るために自然と閉じるようにできています。

肩関節を閉じた結果、肩凝りを感じるとすれば、開いた股関節の負担を軽減しつつ、肩凝りの軽減をはかるのが大切かと思いますが、つい患者さんの「気持ちいいわ。あんた上手いなぁ。力が強いなぁ」という褒め言葉にのって施術時間の半分(!)を肩に費やした結果、必要以上に肩だけが開いてしまい、開いた肩に合わせるように股関節が閉じてしまいバランスを失った結果、痛みが出現したのではないかと考えました。

施術の配分を変えても、しばらく痛みは続いていましたが、ちょうどその時、内臓疾患で入院され、股関節の負荷が減り、マッサージ施術もなくなり、身体がリセットされたのではないかと思います。退院後は、股関節の痛みの訴えはなくなりました😭。
その後は、バランスの良い全身施術を続けていて、大きな痛みやトラブルなく過ごしていただいているように聞いています。

これはうちのスタッフの失敗ですが、強く揉みすぎることの弊害は長い年月をかけて現れたりするので、継続的な治療をしていないと自分の施術結果はわからないことも多くあるように思います。

痛みが出る前にすでに、身体の変化を感じ、なんだか少しおかしいと思うこともありますが、患者さんの
「もっと強く押してほしい」という要求をはねのけるのはなかなか勇気のいることなのです。

私自身、背中のコリでご飯も食べられない、痛くて立っていられないという患者さんの施術にあたっている時の話です。

その症状を疲労からきているものだと考え、四肢の筋緊張の取り除きながら背中のコリ、痛みの軽減をはかりました。
しかし、なかなか症状が改善せず、背中の張り、コリも改善しません。それで、患者さんからの痛みのあるところをもっと強く押してほしいという訴えのまま、自分の方法が間違ってたかもしれないと考え、私の中の必要と考える以上の強さで施術していました。

しかし、あまり続く痛みを不信に思った患者さんが、改めてMRIの撮影を申し込んだところ、腰椎の疲労性の圧迫骨折後の痛みだったことがわかりました。

普通ではないハリとコリを感じてはいましたが、まさか圧迫骨折が起きていたと考えなかったこと、患者さんに言われ、骨折後の身体を守るために固めていた周囲の筋肉を揉みほぐしてしまったことに大きなショックをうけました🤯しかし、上から押したりせず良かったと心から思いました。もしそんなことをしていたら、他の箇所も圧迫骨折を起こしていたかも知れないからです。

コリを強い力でほぐすという呪いは、本当に大きく根強いものだと思います。

私の経験ですが、普通に老化が進む身体では、その身体の縮み方にある一定の法則があるように思います。

下肢の関節に問題を抱えている、麻痺がある、喘息など肺機能に問題がある。
あるいは、
職業による偏った身体の使い方をされている場合でも、その法則が見て取れます。

マッサージなどの施術は、その崩れたバランスを助けることが第一目的なのでしょうが、強くて多い刺激こそが、「上手い」という呪いのおかげで、法則から外れた、自然な老化ではありえない身体にしてしまうような危険性があると思うようになりました。

これは、マッサージ施術だけではなく、医師による投薬、子育て時の過剰なケアや教育など、あらゆることに当てはまるもので、マッサージ師だけが特別に、先を見通す能力が低い訳ではないと思います。

それでも人様の身体の治療に関わる私たちは、無意識のうちにかかっている呪いから解き放たれ、患者さんにとって真に利益になるような関わりを模索し、その力をつけていくことがプロとしての証しなのではないかと思うのです。

私の親指。親指の付け根は完全に変形しています。

呪縛からの解放4〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

呪縛その3 機能訓練は本当に機能を向上させることが出来るのか

今日仕事に行った先での出来事です。

片麻痺で左不全麻痺(動かないわけではありませんが、器用には動かない麻痺の状態)があるけれど、自分のことはほとんど自分でできる患者さんが、私が来るのを待ってたように話をされました。

「ちょっと聞いてー。」
「昨日デイサービスに行って、お風呂から上がった時に、私みたいに手の動かない人がいて、その人は、私と違い、(患側肢の)指が三つ編みみたいになっていて、少しもつまんだりできないから、シャツが着られず困っていたので、少し手伝ってあげたんです。私も不自由だけどまだ動くから、片手で一生懸命手伝ったんです。
お風呂上がりで、はだかのままだと冷えて寒くなるし、少し手伝ってあげたんですよ。
そうしたら、職員さんが、
“手伝わないで、一人でやらせてあげて、リハビリだから”
って怒らはったんです。

私たちは、毎日家でなんとか頑張っているけど、片手で着替えるのは本当に大変で、お風呂上がりは特に濡れていて、片手で届かないところが引っかかるし、息が切れてハァーハァーするんですよ。リハビリのつもりか知らないけど、少し手伝ってくれたらいいのに、職員さんは、何のためにいるのか、怠けているのかなと思うんですよ」

このような話を聞くのは、初めてではありません。ここのようにリハビリを前提としたデイケアでは、普通のデイサービスと違って少し厳しいようです。

似たような話は他でもよく耳にします。

「怠けたいから手伝わない」わけでは決してないのでしょうが、こんな風にしか思われないやり方で、本当によい結果に結びつくのかなと疑問に思います。

こんな風な「若者」とのすれ違いを経験した患者さんの多くは、悔しくて「がんばろう」となるより、情け無い気持ちになって「早く死ねたらいいのに。コロッといかへんかな」と口にされることがよくあります。

機能訓練は、「出来ないこと」を評価し、その改善のためにプログラムを立て実行する。

これは、リハビリとしては当然の流れだと思いますが、相手は「どうやって死んでいくか」を考えているような方々なので、出来ないことを楽しく乗り越えられるならいいのでしょうが、苦労して獲得することに意味を見出すのは難しいこともあるように思います。

このことに、いち早く気がつくのは機能訓練をする側ではなくて、患者さん自身です。

やってもやっても良くならない、何のためにしているのかとなるのですが、出来ない自分が悪いのかもしれない、やめると寝たきりになったら困るという気持ちでいろいろなすれ違いを飲み込み、機能訓練を続けていらっしゃるようこともよくあります。

本当に、機能訓練をすれば出来ないことが改善したり、寝たきりを防ぐことができるのでしょうか?

私自身、介護保険以前から訪問マッサージに携わってきたので、訪問リハビリのサービスが始まるまでは、機能訓練の関わりを期待した仕事をたくさんいただいて来ました。

その頃は、私自身、機能回復・改善を絶対のものとして取り組み、寝たきりにならないためには、患者さん自身が弱っていく自分と闘い、それに立ち向かうことが必要だと考えていたように思います。

そんな時に、感染症から大腿部切断となり、そのショックで全くリハビリが進まず、起き上がることすら出来なかった患者さんに関わらせていただいたことがあります。

その患者さんの家には、一度も使われなかった義足がありました。私は、患者さんが、歩くことが出来たら、足を失ったショックから立ち直って下さると考え、義足による歩行に取り組みました。

初めてのことで、その装着の仕方など基本的なことから病院のリハビリの先生や義足屋さんに教えていただいたり、本を読んだりして、進めていったように思います。

患者さんは、起き上がることにすら、怖さを覚えていらっしゃったので、立つことや、ましてや義足で歩くことは本当に怖かっただろうと思いますが、数ヶ月後には、義足と4点歩行器という「杖」で、室外歩行が可能なレベルにまで到達することが出来たのです。
その時の私は、素晴らしい回復にとても満足していたように思います。

しかしながら、その患者さんにとって、失った足の代わりに得た義足の歩行は、怖くて面倒なものにすぎませんでした。

結果的には、ベッドと車椅子で暮らす生活がスムーズにこなせるようになり、また家族さんの負担は減り、老夫婦の穏やかな生活を送ることが出来るようにはなられましたが、足を失った悲しみは癒えることはなく、生活の中で、義足歩行をされることはありませんでした。

私は、自分の考える目標を患者さんに押し付けていたことにようやく気づくことが出来ました。穏やかな生活を目標にするなら、もっと私の訪問が待ち遠しくなるような他のやり方で良かったのです。

またその一方で、機能訓練は嫌だけどマッサージならしてもいいという仕事をいただくことも増えてきました。

マッサージが終わった後に、
「身体が軽くなった、これで元気がでて頑張れるわ」と言っていただいたり、

機能訓練はいらないけれど、マッサージの後なら身体が軽くなるから、歩いてみるのは嫌がられないということを多く経験するようになってきました。

あるいは、デイサービスもヘルパーさんもいらないけれど、マッサージならきてもらいたいという仕事をいただくこともあります。「ガンコで頑な」な人というのは、どんなに時間がかかっても、自分のやり方で生きていて、生活もなんとかされているという方で、そういう方々を多く目にしてきました。

加齢や障害があっても、自分を失わず生きていらっしゃる方たちの生き方に触れることで、機能訓練こそが寝たきりを防ぐという、私の中の呪いが少しずつ解けていったように思います。

生きることを支える一番大きな力は「生きたい」と思えることなのではないかと考えるようになってきたのです。その気持ちが一瞬であろうと湧いてくる時間を提供することが、何より大切なことではないかと思うようになりました。

機能訓練をすることが一番という呪いのため、患者さんの気持ちとすれ違っていても、提供している側は、気がつかないのではないかと思うのです。

患者さんの「生きる」を支えることが一番だと気がつけば、専門家として様々な角度からアプローチが可能になり、もっと効果的に関わっていけるのではないかと思います。

ある患者さんが、
「往診の先生は、9割人柄が大切だと思います。技術は1割でいいと思います。もし誤診で命が終わったとしても、あの先生が間違わはったんならもういいわ。年寄りはそう思うと思いますよ」
と話して下さいました。

人柄というのは、自分の気持ちに寄り添い、身体も心も任せられるということではないかと思います。
これが私たちがいつも心に留めておかなければいけないことなのかなぁと思っています。

機能訓練について考える時、この文章を書きながら、私自身に深く根ざしている機能訓練の呪いにようやく気がつき、書くことで、私の呪いを解き放てたように思います。自分の犯した罪を考えなおすのはつらいものですが、次の患者さんに必ず返すから許してくださいと祈りながらの作業になります。

次回、最後の呪いは私たちマッサージ師の大いなる呪い、コリは強い力で揉みほぐすものです。

ネコが人気なのは、呪いから自由だからじゃないかな。

呪縛からの解放3〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

呪縛その2 何のために関節は拘縮する?

寝たきりになると、関節が硬くなり、手足が曲がり、オムツ交換も更衣も大変になってしまいます。動かなくなると関節が硬くなるのは骨折後のギブス固定で関節が固まってしまうのと同じことです。

ところが、寝たきりの患者さんがみんな同じような形で関節拘縮が進むかといえば必ずしもそうとも言えないのです。

麻痺のあるなしだけではなく、元気な時の筋肉のつき方、性格、寝る時の姿勢などが関係しているのかなと考えていますが、本当のところの科学的客観的データはないのではと思っています。

因みに脳卒中などの後遺症の痙性麻痺(ケイセイマヒ、硬く力が入って意図的に動かすのが難しい状態)の関節拘縮の形も、多くの人は曲がってしまう形に力が入るのですが、中には突っ張ってしまう形になる人もいらっしゃいます。不思議に思ってお医者さんに尋ねたことがありますが、理由はわからないとおっしゃっていました。

人体というのは、身体の中で何か起きても、二重、三重に張り巡らされた防衛策があり、少々のことでは異変をきたさないシステムを持っていることを考えると、廃用性の関節拘縮や痙性麻痺にもその害だけではなく、身体の深淵な考えがあるのではないかと私は思うのです。

この関節拘縮や痙性麻痺というのは正常な筋肉運動ができないから起きているわけですから、正常な筋肉運動をするというのが、一番の治療法であることに間違いはありません。

しかしその正常な筋肉運動が不可能という前提で、関節が硬くならなかったらどうなるかを考えてみます。

手や脚というのは相当に重くて、片麻痺の人はその重みを支えきれず肩が抜けそうになることもよくあるのですが、長くぶら下がってしまえば、抜けそうではなくて、本当に抜けてしまうように思います。また脚が曲がらずに力も入らなくてブラブラしていると寝返りをさせたくらいで足が絡まり頸部(付け根)が骨折したとう例が実際にあります。
また、力のない長い手脚が垂れ下がっている状態では、体幹もその重みのために呼吸・消化・排泄などの内臓の機能にもより大きな負担を与えるのではないかと考えます。

こう考えると寝たきりになり、関節が拘縮するのは身体がそれを必要としているのですから、無理に伸ばそうとすると、身体は必死になって緊張を増大させ、身を守ろうとするのは自然なことのように思えます。

それでも関節拘縮が、どんどん進むと、オムツ交換や更衣も容易にできなくなり、呼吸・消化・排泄といった生命活動にも支障をきたしてきますから、身体の防御反応(手足を縮める)が、生命活動に支障をきたさないところに落ちつくようにコンディショニングするのが、機能訓練の大切なところかなと考えています。

私の経験では、手も足も出ない状態(つまり寝たきり)に優しくない力で、関節を伸ばされたり、車椅子への移乗時に乱暴に持ち運ばれるなど恐怖心を抱かせることは、筋緊張を増大させ関節拘縮を加速させていくように考えます。

ですから、介護する人が無理やりな力で介護しなくてもいいような柔らかさを保つこともまた大切な指標かと考えています。

介護するのに、困難が伴うまでに硬くなってしまうと毎日のオムツ交換や車椅子への移乗のたびに緊張されるので、関節拘縮の改善以前に緊張を緩和することしかできず、その改善はとても困難になってしまいます。

この関節拘縮の状態と身体が緊張して力が抜けない状態とは明らかに違うのですが、この違いをわからないで、とにかく関節を伸ばしてしまうということもあるのかと思います。

例えば、

何度かの脳梗塞の後、寝たきりになり、在宅生活を送ってきたけれど、四肢の拘縮が進み、唾液をむせるようになり、床ずれや巻き爪からの感染症を起こすようになってきたので、マッサージに入って欲しいという依頼を頂いた仕事があります。

皮膚の緊張を取り、筋膜の緊張を改善し、萎縮した筋肉を少しずつ伸ばしていけば、普通の手足のようにはなりませんが、リラックスして寝ていただけるようになっていました。

依頼を頂いた理由もクリアして、唾液でむせることもほぼなく、皮膚トラブルもなく、楽々とはいきませんが更衣もそれほど困難を伴わずにできるようになりました。
こうなると後は日々進む小さな筋萎縮を改善し、緊張を緩和してあげれば大きく変化することなく過ごしていただけます。

ところでこの方は、家族さんの休息のために、年二回、二週間くらい入院されます。その病院はリハビリにとても熱心な病院ですから、毎日リハビリをしていただけるように聞いています。

私の在宅での訪問は週に2回ですから、さぞかし関節拘縮が改善されるかと思うのがフツウではないかと思いますが、足はそうでもないのですが、肩は指を入れることも難しいくらいにカチカチになって帰って来られます。

在宅と違って、オムツ交換などがソフトでなく恐怖心を与えているのかもしれませんが、全体的な緊張がさほど強くなく、上肢帯(肩まわり)の緊張が特に強いことを考えると、多分曲がった手を毎日のリハビリで伸ばしてもらった結果なのかなと考えています。

わずか二週間の入院で、入院前より退院時の方が身体が緊張でカチカチになってしまっているのですが、関節拘縮が進んだというより、筋緊張が高まっているのです。

それで、退院された後にまず私がすることは、「もう大丈夫、嫌なことはしませんよ」と話しかけながらリラックスしていただくことです。

すると、すーっと緊張が抜けて身体全体が柔らかくなっていくのです。

科学的客観的なデータがないマッサージ師の、主観的直観的考えに基づいた考えなのですが、リハビリの先生が、必要な柔らかさの確保ということではなく、関節は伸ばさなければならないという呪いにかかっていらっしゃるのではないでしょうか。

この病院のリハビリの先生は本当に一生懸命で評判もいいのです。だから一生懸命に関節拘縮を伸ばされているのではないかと思うのです。

機能訓練やリハビリテーションというのは一体何のために誰のためのものなのかを考えざるを得ない出来事なのかなと思います。

次回は関節拘縮だけじゃなく、慢性期老人・障害者の機能訓練全般にについて考えたいと思います。

ご意見お待ちしております。


筋緊張が高いと呼吸すら思うようにできません。そんな時、手の重みだけで呼吸を助けるくらいの弱い力で十分なのです、

呪縛からの解放2〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

呪縛その1 過剰な刺激は弊害の方が大きいという確信を得た出来事

寝たきりで手も足も関節が縮んでうまく動かない、身体も弓なりに歪んでしまった患者さんがいらっしゃいました。
それでも、話しかけるとなんとも上品な受け答えをして下さるので、ベッド から起こして座っていただきながらしばらく話をするのを楽しみにしていました。
ところがある時から、ぎゅっと力を入れて腕がちっとも伸びなくなり、手はむくんでパンパンになり、話も出来なくなり、食事も進まず、ついには浮腫みのため、点滴すら入らない状態で入院となってしまいました。

あんなに腕が浮腫んで入院になったのだから、相当悪い状態に違いないと思っていたら、しばらくしてから、元気になって帰って来られたのです。しかも入院前にはぎゅーと力が入って伸びなかった腕が、曲がってはいますが、力が抜けて楽そうなのです。

入院中はリハビリどころではなく、機能訓練はほとんどなかったようでした。それなのに入院前より力が抜けているとは! 私の衝撃は、口では表せないくらいでした。

縮んだ関節を無理な力で引っ張って伸ばされたら、患者さんは身を守るために必死に抵抗し、そういうことが継続すると最後には力の抜き方がわからなくなってしまうので、全体的な緊張を緩和しつつ、緩んだところを無理のない範囲で自動介助運動を行うというのが私の考え方でしたが、時には刺激量が強く余計に緊張を生むこともあり、常に患者さんの状態をチェックしながら施術を続けてきたつもりでした。

ですから徐々に緊張が増えて、身体が硬く閉じていった時に、体調を崩されているのかとか他の理由を考えていたのです。しかしながら、リハビリのない入院中に、こんなに力が抜けたということは、関わりが強刺激だったことに間違いはないように思いました。

私のやり方で長い間、問題なく緩んで来ていたように記憶していました。ですから、もしかしたら、私ではない誰かが引っ張っていたのかもしれないと考えました。私以外にこの方の機能訓練で関わっていたのは、私の交代で行ってもらった、うちのスタッフとデイサービスのマッサージでした。もちろん、私自身が気がつかないうちに強い力になっていた可能性も捨てきれません。

状態が改善しているので「犯人探し」の必要はもうないのですが、私は以前にも増して注意深く施術するようにしました。
入院前より弓なりの身体はますます弓なりになっていましたが、力が抜けてまた話ができるようになってきています。懸命に介護されるご家族のためにも誤嚥や尿路感染を起こさないよう、床ずれにならないように身体の柔軟性を高め、循環がよくなるよう施術を続けました。

ところが2カ月が過ぎた頃に、再び、身体に力を入り、ほんの少しも動かすこともできないくらいになってしまいました。

私の都合がつかない時に代わりに行ってもらったスタッフに腕を無理に伸ばしていないか確認をしました。
たまの代わりなので、患者さんの身体がよくわからないだろうから、無理に腕は伸ばさず、寝返りや座位をとってもらいながら優しく軽擦(なでること)してくるように言っていましたが、縮んだ肘をみると伸ばさなくてはと、本人としては「無理のない範囲で」伸ばしたと言いましたが、明らかに身体に緊張が増したので、そのやり方は、緊張を生むだけでいいことは一つもないと強く注意をして、代わりに行ってもらうことをやめました。
しかし、それでも緊張が抜けるどころかどんどん強くなっていきました。腕を伸ばす以前になんとか身体中の緊張を抜いてもらうので精一杯です。

うちのスタッフ以外に機能訓練に関わっているのは、デイサービスです。デイサービスのノートを見ても何も書いてありません。ご家族に尋ねてもご存知ありませんでした。どうしたものかと考えあぐねていたある日、家族さんが

「昨日看護師さんが来て、少し強引だけど腕がいっぱい伸びましたと言ってくれたんですが、だいぶ痛そうにしていたんですけどね」と困った顔をして話して下さいました。

看護師さん! 訪問看護さんはずっと関わって下さっています。

私から話してトラブルになりたくありませんし、家族さんから言ってもらうのがいいかなと思いましたが、うまく言えるわけもなく、何より患者さんのことを考えるときちんと話をした方がいいと考え、訪問看護の所長さんとは良好な関係だったこともあり、 直接電話をかけました。

「すみません。腕の緊張が高まっている件ですが、実はうちのスタッフがまだ不慣れな面があり、強く注意しておりましたところ、家族さんからそちらの看護師さんがいっぱい伸びたと報告されたそうで、無理に伸ばすと防衛的に余計に力を入れてしまわれるのではないかと考えていまして…」

と切り出しました。人の話をきちんと聞いてくださる所長さんであったこと、身体の緊張が高まったと感じた時期や患者さんの症状の理解が同じだったことなどから、お互いにしばらくは腕の可動域訓練はしないで様子を見て、改善が見られないようなら、別の理由を考えて対策を練り直すということになりました。

この後、この患者さんは、緊張が抜けてきて少し改善が見られてきたかなというところで再入院になってしまいました😢

理解のレベルは様々であっても医療知識を学んできたはずの医療従事者がどうしてこういうことをしてしまうのでしょうか。

それは多分、一つには、廃用的に筋萎縮・関節拘縮をした身体というのは、健康な状態からはどんどんと離れていってしまうからなのだと思います。簡単にいうと、元々あった場所に、違う筋肉があり、動く方向も変わってしまうので、健康人の腕を伸ばすように伸びるという単純なものではないからじゃないかと思います。

その結果、肘の関節拘縮を改善したくて、力づくで伸ばしてしまうと、肘の関節拘縮はほとんど改善せず、その先の肩の靭帯を伸ばしてしまい、肩が亜脱臼してしまうことも珍しくありません。

文章ではとてもうまく説明できませんが、関節というのは全て螺旋状に動くようになっているので、関節拘縮が進むとき、雑巾を絞るように、腕がねじれていくのです。ですからその改善は、螺旋を戻すように関節を伸ばしていく必要があります。
それで、単純に肘を伸ばすように引っ張ると、その始まりの肩関節が外れるように「作ってある」からなのです。
この患者さんの腕がパンパンにむくんだのは、靭帯が伸びてしまったことと防衛的に過剰な力が入ったため腕の循環が悪くなってしまったからじゃないかと思っています。

これは、長年にわたり、廃用性関節拘縮と格闘してきたからわかったことであり、多分教科書にも書いてないのではないかと思うのです。

ただ、患者さんの苦痛、伸ばしたあとの「成果」をきちんと観察していたら、自分の間違いにすぐ気がつくはずではないかと思うのですが、
関節は伸ばすもの・硬いコリはほぐすもの
という呪いにかかっていて、科学的客観的判断が出来なくなってしまうのかなと思っています。

経験の少ないマッサージ師だから、
機能訓練に専門的な関わりの少ない看護師だから、
間違えたと考える方もあるでしょうか?

そうかもしれませんが、そうだとも言えないくらい、無理やり伸ばすとこうなる一例に確信を得てしまうと、他の症例においても過剰な緊張の原因は単なる廃用性ではなく「人為的なもの」ではないかと考えられることが見えてきました。

次回はリハビリの専門家理学療法士の先生との関わりの話をしたいと思います。

個人を非難するために書いているわけではなく、多くの人が似たような呪いにかかっているとわかってもらい、その呪いから解き放たれて欲しく書いております。ご理解のほどよろしくお願いいたします。そして批判・反論お待ちしております。

山肌に映る雲の影って本当にステキ。いつも山が身近に見える京都の景色は訪問仕事中の心の清涼剤です。

呪縛からの解放1〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

夢枕獏著「陰陽師」シリーズに登場する安部晴明と、その友・源博雅朝臣との会話に「呪(しゅ)」とは何かというのがあり、「呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ」「ものの根本的な在様(ありよう)を縛るというのは、名だぞ」と安部晴明が応えるくだりがあります。

知らず知らずにある考えを前提に物事を進めてしまう態度自体が「呪い」というものかと思うのです。

最近、一人の患者さんに他の職種の方と「機能訓練」を共に担うという仕事が増えてきました。しかし残念ながら、連携がなかなかうまくいかないことの方が多いように感じています。

先日も、患者さんから、「安井さんは、障害者の気持ちをよくわかっている。マッサージが一番役に立っている」というようなことを言っていただきました。とてもうれしく有り難い言葉ですが、マッサージだけが独立して一番と思われるよりも、共に担う職種の方々の連携があってこそと思っていただけるほうがいいのです。それぞれの仕事において同じ方向を向き、協力しながら関わることができたら、患者さんは百倍お得になるのだと思います。

うまく連携が取れない理由に、マッサージ師は医療知識が少なく、コリを揉んでほぐしているばかりで、リハビリ的な関わりができないからと考えることが多いかもしれません。これは「呪い」のようなものかも、と考えるようになりました。

揉んで貰えば気持ちよくて、リハビリはしんどくて痛いこともあるので、患者さんがマッサージを好むのは当たり前だけれど、それを医療として認められない。故に保険適応外で、チームを組めないと考えている人もいるかもしれません。

なぜマッサージ師が医療保険から締め出されて、理学療法士や看護師、機能訓練指導員の関わりは大切だと思うのか、実際のところは、私にはわかりません。

反論したいことはいっぱいありますが、話が噛み合うのか、私の言うことを聞いてくれるのか、言うだけ無駄な気がして、いままでは話すことを諦めてきました。

患者さんの私への評価が、「どうやら、マッサージがうまいらしい。人との関わりがソフトだから、関係を作りにくい患者さんを任せてもなんとかやってくれる」となれば、そこを評価されて、仕事を紹介していただけているなら、もうそれで十分だと思ってきました。しかし、この頃増えてきた、他職種の方と機能訓練を共有することで、マッサージ師はもちろん、他の職種の方の多くがこの「呪い」にとらわれているのではないか、この呪いから解き放たれないと、高齢者や障害者といった「治る」ことのない状態に関わることは、その効果より弊害が大きいのではないと思うようになりました。

できましたら、わたしの拙い文章、考えを批判し、私を新たなステージに導いてくださる意見をいただけることを期待して、私の考えを発信してみようと思います。

一面的で傲慢な理解である場合もあるかもしれません。是非とも批判していただけることをお待ちしております。

長いので、シリーズにしようと思います。今回は導入だけ。

この患者さんは、膝を伸ばす方向が悪く靭帯が伸ばされたせいで、膝が伸びなくなっていたので、キネシオテープで保護。それだけで、膝が動き出しました。
ここが伸びてると見たらわかります。