嬉しいことがありました

 とっても嬉しいことがありました。

 訪問を初めてもうすぐ一年になる統合失調症の患者さんがいらっしゃいます。

 下肢の浮腫があり、歩行困難になってきていて、外出中に転倒したり動けなくなり警察に保護されるということが増えてきたからと、主治医がマッサージを勧めてくださって、訪問するようになった患者さんです。

 この方の下肢の浮腫は、生まれつき体質的に関節がゆるいため、筋力低下に伴い、関節の指示力が低下し、過伸展になることで血流が阻害された結果の浮腫でした。
 このような場合は大きな問題があるわけではないので、比較的マッサージと運動療法が有効で、定期的な施術により脚が重くて歩きにくいというような状態は改善していきました。

 患者さん本人も心地よいと大変気に入ってくださって、問題なく週一回の訪問を続けてきました。

 この方は生活の予定が変わると様々対応が難しく、一つの変化が生活全般に支障を来たすレベルになるということはわかっていたのですが、どうしても時間の都合がつかず、訪問時間を変更していただくことになりました。すると、そのことが不安要因になってしまい、本人の混乱をきたすことになってしまったのです。
 そこで、時間の調整を再び考え直すこと、また他の関係者の方々にもご迷惑をおかけしたことを詫びようとケアマネジャーさんに連絡をいれました。

すると、ケアマネージャーさんがこうお話してくださいました。

「マッサージ導入後、マッサージが生きる希望に繋がったようで、歩行も安定し、警察に保護されることもほぼなくなりました。精神が安定しない時に服用していた頓服の服用量が半分以下になり、本人が前向きに生きようという発言が見られるため、向精神薬の処方を減量する方向で考えています。関係者のみんなもこれはマッサージ効果だと言っているので、訪問時間の変更が必要なら他のサービスを調整することができます」

 この仕事をして、25年。様々嬉しいお言葉をいただいてきましたが、こんな嬉しいことは初めてです。マッサージの何が生きる希望になったのがわかりませんが、もうそんなことはどうでもよくて、ただただありがたく、私の方がこの言葉を胸に明日からの大きな希望を頂きました。

 この患者さんは、この先自立に向けた大きな目標をお持ちです。その目標に向かって、ともに取り組んでいこうと思っています。

 本当にありがとうございます。
 ますます精進して参りますのでどうぞよろしくお願いいたします。

ヘルパーさんとの関わり

「連休中はカレンダー通りのおやすみをいただいております。」と頚椎損傷で24時間介護の必要な患者さんの家で連休中のおやすみのお願いをしました。

するとそこにいたヘルパーさんが、
「どこにも行かないで家にいるんでしょう。ここだけに、ちょっと来たらどうですか? だってゴールデンウィークのGはがんばるのG、ウィークのWはワークのWなんでしょう」と口をはさんでくださいました。

ヘルパーさんは私よりうんと若い人ですが、いつも患者さんと私がうまくいくように上手に話に割って入って私を助けて下さいます。

私もこんな風に言っていただけたので「わかりました。来させていただきます」とお伝えし、結果、患者さんの気持ちも落ち着いて笑顔になって下さいました。

在宅の訪問の仕事の楽しさはいろいろありますが、その一つが一緒に関わっている他職種の方々との関わりがあります。仕事がうまくいくようにお互いを気遣いながら助け合っている時、患者さんの幸せのために、自分の損得を超えた無償の愛というようなものを感じることがあります。
そんな時は、患者さんを含めて、そこの空間は美しい愛のオーラに包まれているのだろうと思います。

こんな瞬間を積み重ねながら毎日を過ごしていけたらこれ以上の幸せはないでしょう。
本当に心から感謝申し上げます。

うまくいく歯車

前回ブログの顛末。主治医先生にご相談に行きました。先生がピザとノンアルビールを出してくださいました。話が出来て安心して帰り着きました。いい先生に恵まれて幸せ❣️

多分、これからうまくいく歯車に変わる予感がします。

決めつけ・思い込みからさよならを。

コロナ禍でも仕事をさせて頂けることに感謝しています。本当にありがとうございます。

「新しいケアマネ断ったんや」

えー!また!まだ一回しか会ったことないんちゃいましたっけ…

「またって…俺が悪いんちゃう。ものすごい腹黒いヤツやったんや」

腹黒いって…

よくよく話を聞くと――仕事が終わってから一時間以上かけてです――何があったわけでなく、言葉のすれ違いがあったようで、ケアマネさんが腹黒いというわけでなく、この患者さんの気持ちや心配事とケアマネさんの考えがすれ違っているのが大きな原因のように思いました。

これは、ケアマネさんと利用者さんの間に限ったことではなくて、誰にでも言える事なのでしょうが、この患者さん場合、こんな言葉が出てしまうほどのすれ違いには、ここにくるまでの数々の「所業」でケアマネさんとうまくいかず、ケアマネさんの交代のたびに引き継がれる「申し送り」に原因があるようでした。

元気な人が、アクシデントや突然の発病で生活全般にわたる変更を余儀なくされた場合、その変化を受け入れ、生きるしかないと諦めるには本当に長い時間を必要とするように思います。そしてその時間は、平穏に流れることはなく、頼るしかない様々のサービスに腹立たしさや不満を募らせながら、時に激しくぶつかり合うという時間なしにはなかなか難しいのかなと思います。

特にまだ働き盛りの方が、突然障害を受けてしまうと、仕事として関わる人に対して、「こんなやり方で、お金を稼いでいる、自分はこの病気にならなかったらこんなやる気のない人にお金を払って世話になることはないのに」というなんというか、同じ仕事人として、仕事の仕方をチェックしてしまったり、健常な時と同じ安心感で暮らしたいという今の現状では難しい、でも本当は当たり前の要求をしてしまう事でうまくいかないことがよくあるように思います。

この方の場合も詳しくは書けませんが、こんなやりとりを何年にもわたり続けてきてこられた末の出来事でした。

もし自分が同じ立場になったら当たり前に思える「怒り」も、サービス提供者が単なるクレーマー、自立心がない、依存体質などと決めつけてしまうことで、関係は、悪循環に陥り、うまくいかないことが、どんどん悪循環の歯車をクルクルと回してしまうように思います。

この悪循環の歯車で一番損をするのは、もちろん患者さんで、その悔しさや諦めの時間の結果、本意ではないかもしれませんが、患者さん自身が少しずつ変わっていかれます。つまり、長い時間をかけて少しずつ現実を受け入るしかないことを学んでいかれるように思います。

その間の悪循環の歯車を好転するために、私がどう振る舞えばよいのか、自分の立場や力量など考えて身動き出来ず、自分にガッカリすることもよくあります。

下手に動くと余計に患者さんにも迷惑をかけてしまう事も想定され、問題解決の方法を見極められず、しばらく静観かなぁと思っていた朝、イジメの新聞記事を見つけました。

どこで起きる問題も心の傷もその本質は一緒だとしみじみ思いました。

決めつけ・思い込みからさよならを。
利他的行動を基本に。
済んだことにこだわらず、未来を恐れず、イマの感じたことを大切に――そう自分に言い聞かせ、考え続けているところです。

コロナ禍のおかげで仕事が少なくなり、のんびりと働いて見えてきたこと、気付けたことを大切に自分らしく働けたら幸せだと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。

イジメの記事は涙なしには読めません。教師はもっと給料上げて、資質のある人になってもらいたい。でもお給料が潤沢な国会議員でも倫理観を失い利己的行動を旨とする人が多いのは本当にガッカリですね。

愛で心を満たそう、毎日をワクワクで満たそう

コロナ騒動のため、施設ではご家族様の面会も制限されているところが多くなっています。
訪問マッサージは医療として訪問させていただけている施設もあります。
そんな施設の一つにご家族が毎日朝夕に二回面会に行かれていた患者さんがいらっしゃって、面会禁止になり日に日にお元気がなくなって来られました。

そこで今日は、訪問中に、ご家族様とスマホを使ってビデオ通話しました。

ご家族も患者さんも本当にうれしそうで、なんだか素晴らしいアイデア💡だったと我ながら嬉しくなりました。

コロナにめげずに一日一つ楽しい新しい取り組みをしてみようかなぁ。

コロナウイルスじゃなく、愛で心を満たそう。
コロナウイルスの恐怖より、毎日をワクワクで満たそう。


新人vs古参 お楽しみくださいませ。

初めてのお別れの挨拶 95歳の患者さんのこと

初めてちゃんとお別れの挨拶をすることが出来た患者さんは95歳で、最後まで孫と話をした直後に、眠るようにどころか、少し休憩している風に息を引き取られました。

後縦靱帯骨化症の手術後に、家の中を歩けず、四つ這いで移動をし、そのためにこぶしに「歩きタコ」が出来ていました。なんとかならないかと在宅介護支援センターの方から依頼をいただき、お付き合いが始まったのは、25年前、介護保険の導入前だったように記憶しています。
私がまだ前の治療院に勤めていた頃です。

とても真面目で一生懸命な性格から、訪問を始めてすぐに室外歩行までできるようになられました。私の担当ではなく、たまに公園などで歩かれている時に声をかける程度のおつきあいでしたが、こうなるととてもうまくいったモデルケースのような患者さんになられるはずでした。

しかしながらその後、トラブルやクレームで、担当者が、次々と交代せざるを得ないことが続いて、最後の最後に私の順番がまわってきました。多分今から12年くらい前だったと思います。

そのトラブルの原因の多くは、マッサージや筋トレやストレッチなどの施術後のご本人の身体の不調の訴えにありました。

こちらとしては一般的な当たり前のことをしていたつもりでも、後で痛みが出たからあれはしないでほしいと言われることがたびたびで、思い当たることを見つけられず、身体の不調ではなく、精神的な不安や不満からの訴えだと理解し、この方をクレーマーという理解の対応だったように思います。

私は、自分が最後の砦的な気持ちでした。もし、私もうまくいかなかったら、他の治療院に代わることになかもしれない、経緯を知らない新しい治療院に代わるより、この方の言い分の全てを受け入れていくほうがいいと考えました。

私と付き合いが始まった頃、この方は、まだ歩行車を使って歩けていましたから、トイレに行くことやその他全ての生活動作は自分でできていらっしゃいました。
それでも背骨に問題がある方の多くがそうであるように、この方もまた胸を張って歩くと負担が大きく、また、膝の力も落ちていたため、腰を「く」の字に曲げて、膝を突っ張った(膝は本来軽度屈曲させて衝撃を吸収するようにしているのですが、筋力がない場合は突っ張って使うようになります)姿勢で歩かれていました。

私としては、歩行力を保ち続けていくためには、各関節に少しずつの遊びがあるように筋肉を緩めていきたいのですが、頚部を手術しているから脊柱周辺は触らないでほしい、強い刺激は後にひびくからやめて欲しいという希望があり、どう考えて関節の負担を減らして行けばよいのか、全体を弱い刺激で緩めていく方法を、その時の私はまだ知りませんでした。

それで、下肢の筋トレ、立ち上がり、歩行、それから軽いマッサージで対応しながら、機能が長持ちする方法を模索しました。
それでも、施術後に違和感を覚えたと度々連絡をいただいていたように思います。

今では、患者さんの訴えの中に私の治療師としての次のステップを開く扉があることを自覚して、詳しく聞き出すことができますが、当時の私は、自分に現状を分析する自信も経験も少なく、訴えの理由が分からずに、ただ、訴えを受け入れ、その結果私のできることが少なくなっていくそんな感じでした。

それでも、そのストレスが相手に向かわずに自分の未熟さに原因を求められたのは、この方の高い工夫力と毎日の自主トレによって日常生活動作の自立が守られているのを見たからでした。

頚椎の術後のためか上下肢には不全麻痺が残っていましたが、普通では考えられないやり方で自立を勝ちとっている人が、単なる精神的な不安だけで何かを訴えてくるとは考えられなかったのです。
例えば、ベッドからの起き上がりは体幹の力と足りない分を腕の力で補うのが一般的かと思いますが、この方は腕がうまく使えないので、ベッドから足を下ろす、その重みを利用して、起き上がりから一挙に床に座ることで、起き上がりを「簡単」にしていらっしゃいました。
言葉でうまく表現できませんが、体操のあん馬のようで、初めて見た時はあまりに驚いて言葉も出なかったくらいです。

そうして、思っているような形ではない結果に何度もダメ出しをいただきながら、この方の関節がとても浅く可動域が正常範囲を超えるほどに大きいために、強いマッサージの刺激が靭帯を予想以上に伸ばしてしまい、身体に違和感を与えてきたことを知っていきました。

このようなことが長年のクレームの原因になっていたと知り、極力、他力で関節を動かさず、自力で動かしていただくやり方に変えていきましたが、長年の不信感は大きく、やり方を変えてからも小さな違和感が不安感・不信感に繋がるという時間が長らく続いていたように思います。

そんな時間を数年過ごしたある時、ずっと介護を続けているご家族さんが、
「安井さんが、一番ばあちゃんの身体をわかっているっていつになったら気がつくんやろう」と言って下さいました。
それを聞いた私は、本当にびっくりしながらもあの時の嬉しさは忘れることはできないくらい感激しました。そして、側で見ていて下さるご家族の信用が得られたという自信は、患者さんにかける言葉も変えてくれたのでしょう。その時から患者さんの不安感が私への不信に繋がることがどんどん減っていったように思います。

その後、肺炎やその他の原因で何度かの入院を繰り返し、元々麻痺のある手足はどんどんと動かなくなっていきました。それでもどんなに動く範囲が小さくなっても、考えられるあらゆる工夫をこらしながら、最後の最後までベッドの上で出来るリハビリを続けられました。手足の自由がどんどん失われても、声は出ると大きな声を出してリハビリをし、私たち訪問者を笑わせたり労うことを忘れることなく旅立っていかれました。

この方との出会いで学んだことはとても大きく、語り尽くすことが出来ないくらいですが、施術のやり方においては、ソフトな刺激でも全体の関節に緩みを作り、身体の動きやすさを助けることが出来ることを長い時間をかけて学ばせていただいたように思います。

それは、この方の真面目さ、自分を失うことなく生きる強い心のおかげです。なぜなら、うまくいかなくても、粘り強く私を見捨てず関わることを許して下さったからです。だからこそ学べました。多くの場合は、この偉大な気づきの前に関わりを断られ、自分の間違いに気づけないまま仕事が終わってしまうのだろうと思います。

そしてこの長い深い付き合いの中で、施術しながらも、何度も精神的に支えられ、人生の助言をいただいたか知れません。技術とともに、技術よりも大切なものをいっぱい教えていただいたのだと思います。

私の未熟な時を思い起こしながら書いては休み休んでは書いて、書き終えるのに、とても時間がかかってしまいましたが、忘れてしまわないように、彼女の人生についてもう一回書いておきたいと思います。年内に書きたい…と思っております。

時間がかかりすぎて、なまなましい感覚を忘れてしまったこともありますが、時間が経っても忘れられない大切なものを残して下さったように思います。

片眼で「見る」

金属加工する職人をされていた患者さんのお話です。

大阪城の天守閣の屋根についている金属を全て一人で納品したと言われるので、とてもしっかりとした腕で仕事をされていたのだろうと思います。

使い込んだ身体は、年齢とともにあちこちが悲鳴をあげていました。一番の問題は、めまいだと言われます。
脳梗塞後の不全麻痺(見た目はあまりわからないくらいだけれどやはり普通には動きにくい麻痺)もあるので、室内の移動は出来ても、めまいで室外の移動は困難だと言うことでした。

めまいというのは、脳の問題が隠れている場合もあるのですが、加齢に伴う骨格の変形から耳周辺のリンパの流れが滞ることで起きることもよくあります。そんな時はマッサージ施術によりリンパの流れをよくするだけで驚くほどに改善します。

ひどいめまいは、施術を始めてからある程度の改善はみえたのですが、どうにも頚部の筋緊張の左右差が大きく脳梗塞の後遺症のためかと考えていました。

が、実は若い頃に仕事中に体勢が崩れ、アルミ板で額から口元まで切る大怪我をされ、そのために左眼を失明されたのだそうです。

片眼になると遠近感がわからず、片眼による手元作業に慣れるまで3年くらいかかったそうです。
ほんの2、3㎝の違いがわからず、電車と車が並行して走っているところで、それらがすれ違う時に、その遠近感がわからず、あっぶつかる!と一人びっくりするそうです。

遠近感がつかめないのに、どうやって細かな作業をこなしてこられたのでしょうか?
しかも選りすぐりの腕前なのはなんとも不思議です。

片眼でもみているうちに慣れてくるのかと尋ねてみました。
すると意外な答えが返ってきました。
見ればみるほどわからなくなるので、パッと見てあとは見ないでする方がうまくいくとおっしゃいます。

両眼がきちんと働いていた時と同じように見える前提で必死に見ようとしないで、見えないことを受け入れて、片方の眼とあとは経験に裏打ちされた心の眼で見る方がうまくいくということなのかなと思います。

私たちの仕事も同じことが言えるのかなとしばらく片眼で「見る」ということについて考えてみました。

見えないもの、わからないことをわかる前提で考え続ければ続けるほどに迷いが生まれて、正解から遠ざかるということがあると言えるのでしょうか。それより、心の眼を鍛えていくことに時間を費やす方が正解に近づくのでしょうか。

まだ自分の中ではっきりとした答えは見えていません。
きっと頭の片隅に置いておくことで、ある日成熟し、ヒラメキとなってわかる日がくるんじゃないかと考えることを一旦おしまいにしました。

感じる心やカンというのを言葉で言い表したり、人に伝えるのはとても難しいのですが、思考を超える何かがあるのは多分確かなのだろうと思います。

9月7日土曜日の京都の空です。屋上から北のほうを見ていると、そこにだけ雨が降り注ぐ雲を見ることができました。初めて見る雲の様子にしばらくみとれていました。

雲の筋は少しずつ位置を変えていましたが、私の頭上では星が見えていました。

片麻痺の改善方法

この異常な気象に天気予報が外れてばかりです。

7月というのに、なんだか肌寒い風で過ごしやすくて良いのですが心配になってきます。

私のほうは、この1ヶ月の間に脳梗塞後の片麻痺の患者さんを新規で数名紹介していただきました。

患者さんたちは、突然の身体の変化に、早くよくなって発症前の暮らしに戻りたい、でも麻痺した手足が思うように動かないことを受け入れるしかないという気持ちと諦めたくない気持ちの葛藤自体が本当にお辛そうでなんとかお力になれればと思っていますが、そう簡単にはいかないのが現実です。

ただ、今までは、私が施術することで、その改善の手助けをすることをメインにしてきましたから、回数・時間などなかなか超えられない壁があり、少しの改善をしながら、生活を維持できたらいいのではという風に私もまたあきらめてきたように思います。

しかしながら、理屈的に片麻痺の改善方法はわかってきましたから、それを御本人に伝えることで、もしかしたら私の予想を超える結果が得られるのではないかと考えるようになりました。

麻痺した手足がうまく動かないのは、単純に神経がやられたからではないと考えています。
もちろん最初はそうなのですが、よほどのひどい麻痺でない限り神経は再生され指令をきちんと出しています。

しかし、重力に抗い重い手足を動かせるほどには再生されていないこと。
身体の動きは螺旋状の動きを基本としていて、この神経の異常事態に、直線的な動きを作ることで、とりあえずの回復を図ろうとすること。これが痙性麻痺というきちんと動かず硬くなるだけという状態を作り出してしまうのですが、このことを理解すれば、元どおりとはいかなくても少しずつですが、回復することが出来ると考えています。

そして、この新しい患者さんたちにこのことを出来るだけ丁寧に伝えるよう努力してきました。

すると、一人の方が、2回目の訪問時に、

この間まで動かなかったのに、麻痺した足が動くようになりました

と言って下さったのです。わずか一回の施術で!こちらがビックリしました。

動きにくい筋肉もまだうごいているよと伝えること、実際に動きを誘導することで、動く感覚を本人の身体に実感してもらうことで、こんなことも可能になるのだと知り、これから先微力ながらますます尽力したいと思っています。

そこで、これらに興味を持たれた方はご連絡いただきましたら、その実際をお伝えできたらと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。

決めつけないでよく見ること。
これが全ての始まりだと思っています。

理学療法とマッサージ

「今度、担当が変わって僕が関わることになりました。マッサージの先生とも協力していきたいのでよろしくお願いします。」

今年の3月に、訪問リハビリの先生からこんな電話をいただきました。
関わる患者さんとはもう5年以上のお付き合いで、私たちが関わった時にはすでに訪問リハビリも行っていましたが具体的な連携をすることはなくきていました。

この患者さんにかかわらず、訪問リハビリの先生から連携をとろうと連絡をいただいたのは長年訪問マッサージをしていますが、初めてのことでした。

ずっと理学療法士の先生たちと具体的に協力して仕事がしたいと考えてきましたから、このチャンスを大切にしたいと考え、私のしようとしていること、出来ていないこと、悠生治療院の体制としての弱点をつまびらかに説明しました。
先生は、私の話を丁寧に聞いてくださり、今後も細やかな連携を取っていこうと話して下さいました。

その後も、定期的に様子を尋ねる電話を下さるようになり、また、自分たちの出来ていること、出来なかったこと、これからしようとしていること、私たちのしていることへの疑問なども話して下さるようになりました。

私は本当にうれしくて、それから少しあつかましくなって、この患者さんの話から外れた、自分のマッサージの到達点とその中で出来ていないこと、リハビリの先生と連携したい具体的な点まで話をしたり、全く別の患者さんのことまで相談させていただいたりしました。(本当にあつかましい!)

そんな中で、リハビリの先生は、

「マッサージという手技に関しては、開業されている鍼灸マッサージの先生の方が病院勤めの私たちよりはるかに優れている方がたくさんいらっしゃると思っています。
運動療法に関しても、理学療法士より工夫をこらし、素晴らしいものを持つマッサージ師の先生がいっぱいいらっしゃると思っています。

僕は、そういう腕がないので、患者さんの生活の中で出来る訓練メニューを作り、実行してもらうことで生活を変えていってもらうというスタンスで訪問リハビリをしています。

僕たちが行った時に訓練をするよりその方がよほど大きな変化に繋がると考えています。」

と話して下さいました。

こんな事を考えている理学療法士の先生がいらっしゃるなんて本当に心の底から驚きました。

そして、

「また時間が合えば、マッサージ施術を見学しに行ってもいいですか」と尋ねて下さいました。

もちろんです。見ていただいてご意見をいただきたいのはこちらのほうです。

それからしばらくして、私の訪問時間は、リハビリの先生のご都合がつかず、お互いの都合がついて患者さんの予定もあう時間を別に設定すること(訪問日を振り替えて)になりました。

きちんと日時が決まってからは、とにかく説明が下手な私は、どう伝えれば、いまの自分の考えをうまく伝えられるかずっと考えました。

私のマッサージは筋膜療法を基本として成り立っています。
筋膜療法というのは、
ものすごく乱暴な説明ですが一言で言うと

偏った使い方を続けると筋膜は、ねじれて肥厚していく、この部分をゆっくりとした持続圧で解かしていき、正常な状態にしていく療法です。

アメリカで提唱されたこの療法を私は一から学んだわけではなく、自分なりの仕事の中で到達した先にこの療法があったという感じだし、アメリカの筋膜療法は、寝たきりや中枢性疾患の症例の記載がなく(私が読んだ限りの中ではという意味)、私よりも知識も経験も多いと思われるこのリハビリの先生に伝わる言葉を探しながら仕事をしていました。

もちろんこれまでも、いろんな人に伝える努力をしてきましたが、
うまく伝える言葉を見つけることが出来ませんでした。
でも、伝えたい相手がリハビリの先生であるということは、基礎的な理解は一致しているのですから、その先の私のしていることを伝えるだけで伝わるのだと思うと私の中にシンプルな言葉が浮かんできました。

筋膜が捻れるのは、重力に逆らうための筋力が足りないために生じるアンバランスからです。ですから、手足の重みを他力的(つまり施術者の力で)取り払い、正確な関節運動が出来れば筋膜の捻れが矯正されていく。と考えているので、マッサージという手技を中心にするよりは、自動介助運動(自分で動かしていただきながら足りない部分を補いながら運動をすること)を中心に施術を組み立てていること。

また、その引き攣れた部分を少し揉みほぐす時は、その動きの始まりと終わり(手で言えば肩と手指)を近づけることで、平面的なマッサージでなく立体的な動きを作ることが出来ると考えていること。平面的なマッサージをすると深層の筋が揉めず表層の筋だけ緩めることになり、返って動きを悪くすることがあると考えていることなど説明しました。

その患者さんに関わっていらっしゃる二人のリハビリの先生が見に来てくださって、私の説明を熱心に聞き、そして細かなところを見て質問して下さいました。

その上に、患者さんはとてもよく状況を理解出来る方だったので、普段説明が不足していることもあり、私が何を考えてマッサージをしているか一緒に聞いてもらうようお願いしたので、心おきなく説明が出来ました。

私の説明が終わった後に、リハビリの先生が、私の始まりと終わりを近づけたポジションでほぐすやり方は理学療法のテクニックの中の一つにあること。
深層の筋は単関節筋(つまり筋肉が一つの関節しか超えない)であること。
それから私の関節の動かす方向がバッチリ正しいと教えて下さいました。

その後、リハビリの先生に介助で歩行練習をしてもらいました。大きな患者さんをわたしよりずっと細い小柄な身体で上手に誘導し、軽く歩行を介助されていました。歩行前の座位姿勢は傾きがあったのに、歩行後はまっすぐ(見たことがないくらい真っ直ぐに!)座ることが出来るようになっていらっしゃいました。

「マッサージの後に機能訓練をすればパーフェクトですね。患者さんからマッサージの後は動きやすいと聞いていましたが今日その理由がわかりました」
と言って下さいました。

そしてその翌日、リハビリの先生からメールが届きました。

「この患者さんの障害と生活スタイルに比して機能レベルが高い理由がわかりました。安井先生のマッサージがあるからです」

と言って下さったのです。

本当にうれしくてうれしくて、これから本当の意味で、一緒に仕事が出来たら最高に幸せだと思いました。

マッサージと理学療法は、本来は一つの体系の中にあるはずのものが、歴史的な経緯から二つに分かれ、その上少し対立的な立場になってしまっているだけだと考えています。

さあ、いざ、ともに歩まん❣️

よろしくお願いします。

患者さんの手作りシュウマイ。美味しくいただきました。
この方の場合はうまく連携が取れていません。
私はどうしたら一歩が踏み出せるか思案中です。

チームケア

「なんとかしてあげてほしいんや。時間がかかってもいいから、信頼関係を作って、なんとか人への信頼が戻るような支援をしてほしい。頼むわ。まだ力を持っているので、なんとかもう一度歩けたらと思う」

今年の1月にケアマネジャーさんからこんな依頼をいただきました。

不信の原因は、長年住みなれた家が立ち退きにあったことなのだそうです。
後見人に決定を委ねている85歳の本人の納得のないところで引っ越しが決まってしまったため「どうせ勝手にするんやろ」とみんなに心を閉ざしてしまわれたそうなのです。

ホテル建設ラッシュの京都では、借家を追い出されたという話を耳にすることが増えてきましたが、この方もその一人のようです。

80歳を超え、生まれた時からずっと住んできた家を離れ、新しい環境に適応することは簡単なことではありません。
それが本人に望んだことでなければ尚更のことでしょう。
その上に、畳ではなくフローリングの部屋に変わり、布団からベッドへの変化がこの方の機能低下に追い打ちをかけたようでした。

筋力が低下した時に、小さな力で立ち上がりが可能になったり、介護のしやすさのために、畳からベッドに変えることはとても一般的ですが、一方で、その高さに慣れず、怖くて身体を思うように動かせず、寝返りさえも難しくなることもよくあります。

この方は、引っ越しという住環境の変化を伴う寝具の変化、意欲低下のダブルパンチで、ベッドの上で身体を小さく丸めて眠り、自分で動くことがなくなり、寝たきりになってしまわれていました。そして、すでに関節拘縮が始まっていました。

「時間がかかってもいいから」という言葉から介護拒否の状態だろうと想像がつきます。
こういう時は本当に丁寧にお姫様に接するような態度でのぞみます。

――すみません。すこし脚を伸ばしてもらえますか?

「なんでや?自分で伸ばせる。あとでする」

――お手伝いさせていただけますか?

「いらん」

ちょっと伸ばしましょうか?とそーっと脚を伸ばそうとすると、
「いたいー!勝手にさわらんといてー!」

を何度か繰り返していると、
少しくらいは寝返りが痛みなく出来るようになって下さっているような、
拒否がエスカレートしているような……。

何時間もじっとしていれば誰だって動かす時に痛いのは当たり前です。なんとか突破しないと痛みはひどくなっても良くなることは考えられません。

それでもあまりに拒否が強く、難しいかもとあきらめそうになっていたある日、
少し遅れて行った私は、早めに来られたヘルパーさんとお会いすることがありました。

そこで、ヘルパーさんに、なかなか受け入れていただけないようので、私がダメなら他のスタッフに交代も考えていますが、とたずねました。

すると
「マッサージの先生は気に入ってはるみたいですよ。私が代わりに言ってあげるけど、代わらなくていいです。先生のこと好きですよ」
と言って下さったのです!

心が傷ついている時には、人は真っ直ぐに表す時ばかりではないのでしょうが、そうなんだ、これは気に入っている態度なんだ! 全く気がつきませんでした。

この助言のおかげで、少し強引に「いたい!こわい!」壁を越えていけるなと思えることができました。

そして、この日から「いたい、やめてー」の言葉を、自分の中では「優しくしてね」の言葉に置き換え、動かしたり、起こしたりしていると、車椅子にすわり、おやつを食べていただけるようになりました。

元々大きな疾患があるわけではないので、怖さ・痛さが薄らぐことで、動きがスムーズに、日常生活においても介護拒否が減ってきたようでした。

ヘルパーさんも丁寧に介護を続けて下さるおかげで、私が訪問する間にも、表情が和らぎ、穏やかで元気な声で挨拶をして下さるようになり、動きも少しずつ良くなって来られました。

いまは、まだ寝たきりという範疇に入る暮らしですが、ベッドに支えなく座ることが出来るようになられました。
座って足を動かして運動もして下さいます。
「やめてー」という言葉はまだありますが。

近い将来、歩ける日が迎えられるように、私も粘り強く関わりたいと思います。

このケースはチームケアがうまく流れたケースなのかなと思います。
その第1番は、ケアマネジャーさんが、この患者さんの心の傷をなんとかしてあげたいと考えたプランを立てられたことです。

そのプランのもと、介護拒否の強い方に対して、その傷を無視することなく、ヘルパーさんも粘り強く関わっていらっしゃったことも機能を向上させた大きな要因になったと思います。

繊細に心を感じるヘルパーさんの助言がなければ私も頑張れなかったと思います。

心の傷は誰かの愛によってしか癒えることはないのだろうとしみじみ感じるケースです。こんなケースに参加させていただけることが私の幸せの元です。

じっと丸まって寝てらした膝は今はこれ以上伸びません。伸ばすと靭帯が伸びて痛いようです。体幹に力をつけて自然に伸びていくように身体の動きを作っていく予定です。

こんな風に何にももたれずに座れるのは、立ち上がりの前の一番大切な力です。こわくて後ろにのけぞっていたり、自分で頭を支える力がないようでは絶対に自分で立ち上がることは出来ません。