お断り

先週は、一人の患者様からお断りをいただきました。よくはあることでもありませんが、めずらしいことでもありません。

訪問マッサージはこちらから伺うので、理由がわからないまま仕事が消えるということは、ほとんどなくて、多くの場合にその理由を知ることができます。そのことに慣れることは、なかなかありません。毎回ガックリするし、相手を非難したくなります。

どこで間違ったんだろう、どうしたら良かったのか、自分なりの答えが見つかるまでそのことが頭から消えずに、頭の中をグルグル回っています。

 

そして時間の経過とともに、感情的な部分が薄れ、冷静になってくると、自分の足りなかった点や患者様の立場からの見方が理解できるようになってきます。やはり治療の本質は、一方的な技術の押し付けではなく、患者様に寄り添うことなのだろういう考えに至ります。

他にはない素晴らしい技術を持っていたとしても、その結果を出せるまでに断わられてしまってはその技術を振るうこともできないのですから技術がすべてというわけにはいきません。

患者様が、訪問を楽しみに待って下さることの中身は、マッサージの技術だけでなく、会話であったり、話し方やそのたたずまいがかもす雰囲気であることもあります。肌の合う合わないという理由で仕事が断わられることもままあります。

しかしながら、相手がそう感じる裏には患者様に対する共感や思いやりの気持ちが欠けていることがあるように思います。そのような気持ちの至らなさが、どのような施術や会話であろうとカンに触るという結果を招いてしまうのではないかと思い至ることがほとんどです。

それは命に関わる実際的な仕事ではなく、マッサージが単なる技術の提供でなく、触れるということ自体が癒すことも含まれる仕事なので、常にこちらの心がつたわってしまうのだと理解しています。

そうして日々患者様から鍛えていただいたおかげで、相手に寄り添うということを、少しずつ、より深く知ることが出来るようになってきたように思います。それでも、やっぱりうまくできないことがあり、しばらくはがっかりするしかありません。

今回は悠生治療院の4人のメンバーが全員順番にお断りをいただき、最終治療院の変更ということになりました😢理由はそれぞれ違いますが、根底には辛い患者様の毎日を変える力になれなかったことが一番の原因です。

なかなかうまくできませんが、今後も精進しますので懲りずにによろしくお願いいたしますとお伝えするばかりです。

患者様のお家で。自費のヘルパーさんが、体調の優れないご家族様のお昼ごはんを作り、私は残りを試食させていただきました。このおじやの中にほうれん草、かぼちゃ、白身魚、人参・しいたけ入りの卵焼きが入って栄養満点です。
自費のヘルパーさんと私たちマッサージ師は介護保険外のインフォーマルサービスです。介護保険にしばられない者同士相性がいいなと思います。
おかげで身体だけでなく心も満たしていただきました。ごちそうさまでした💕

筋膜

50代男性。神経難病により、末梢神経炎を発症、歩行不可、トランスファーなど起居動作自立。だが上下肢体幹のコントロール不良。上肢筋力低下顕著、巧緻性低下。独居。進行性らしいが、現在は落ち着いている様子。
三年前から訪問を始めました。とにかく肩が凝って辛い、手足が重い。鍼灸も試したけどどうにもならない。治ることは考えられないけどせめて楽にしてほしいという依頼でした。

力がうまく入らずある力を必死で使う場合、力を抜くことがうまく出来ず、手足はどんどん内旋位になります。皮膚がよじれて元に戻らなくなるのです。女性ならパンストがよじれたら足を動かしにくくなる感じを想像してもらったらわかると思います。(男性だとタイツ(?))。筋膜というのはパンストのように一つ一つの筋肉だけでなく全体をも包みこんでいます。そして、身体がスムーズに動いていると力の抜け具合に合わせて筋膜も元に戻るのですが、力が抜けないとどんどん戻らなくなるのです。同じ動作を繰り返す場合もこのようなことが起きやすいです。麻痺などがあり、伸筋と屈筋のバランスが崩れている場合は、ほぼ内旋位になってしまっています。

彼の場合もそうでした。これを健康に近い状態に戻すことはそう難しいことではありません。麻痺などの神経系の異常を治療するわけではないからです。

そして治療開始から数ヶ月後には、彼の口から「全く期待していなかったマッサージがこんなに効果があったなんて」という言葉をいただけるくらい身体がスムーズに動き、起き上がりや立ち上がり動作が安定するようになって下さいました。

それから彼自身はどんな姿でもいい、とにかく歩きたいと、プールに通ったり、訪問リハビリの先生に四点歩行器での歩行訓練を続けたりされています。が、独歩(介助なしで歩くこと)に一番必要な重心を定めることが出来ません。腰が左右にぶれたり、足が出過ぎたり、緊張すると無意識につま先立ちになったりしてしまうのです。

この先の道のりは私にはわからないことが多すぎて、リハビリの先生に任せてきました。しかし昨年、鈴木先生の講演会(1/8のブログ参照)で解剖学的に解決出来ることをきちんと積み重ねていけば、神経系統の疾患も効果が得られるという話を聞いて以来、私にも、もう少し出来ることがあるかもしれないと考え始めました。

長年の歩けない暮らしで、見た目以上に筋萎縮、関節拘縮が進行しているのは確かです。可動性を正常に近い状態まで作っていけば、もう少しコントロールが可能になるかもしれないと考えています。

ご本人にも伝え、立位訓練を増やしてもらいました。下肢後面から腰部に至る可動域を拡大するためです。座位でおじきをする訓練もお願いしました。
1か月足らずの時間ですが、少し光明が見えている部分もあります。まだまだ道のりは長い気がします。でも今年中にはなんとかならないかなと思っています。ここでいい報告が出来たらうれしいなと思います。

途中で投げ出さないようブログに書きました。

筋膜ってこんな感じ。人体で最も大量にある組織であり、未だ全容が明らかになっていない、未知の可能性を持つ組織です。
この本自体もとてもエキサイティングです。

職人技の手技療法

私たちの日々の治療はうまくいったりいかなかったりの繰り返しです。
高齢者になると不定愁訴や如何ともしがたい訴えが多く、歳のせいと諦めのつかない訴えに、お医者様であっても日々薬の調整に苦労されています。私たちの手技療法であればなおさらのことです。

私の治療が予想どおりあるいは予想以上の結果が出ても、「エビデンスが得られないから、一般化出来ない。職人技では医療として科学的根拠を得られない」と、在宅チームでよくご一緒する医師に言われます。私は医療とはそういうものか、仕方ないと考えてきました。

しかしながらアメリカの手技療法の本を読み、日本の理学療法の話を聞くにつれ、本当かなと思うようになってきました。アメリカからやってくる療法は誰でも出来ます的なプログラムは作ってありますが、その前提の評価の部分は繊細な指先の感覚から捉えて考えついたんだろうと思うことが多いからです。
なぜなら、私が筋膜療法で治療しているというのは、筋膜療法を学んだからでなく、全身を指先の感覚だけでみつづけたら、筋膜療法と同じ理解に至ったからなのです。こう表現するのは伝わり易いからに過ぎず、筋膜療法は特別なことでなく、誠実に経験を積んだ治療師が指先の感覚で身体を見ていけばわかることだと思っているからです。
あくまで私の見ている範囲のことですが、理学療法士は角度を図り、プログラムを作り、誰でも同じ治療が出来ることを前提に治療を組み立てていきます。しかし問題は患者の身体です。単純に角度計で現れない筋萎縮や、可動性の非常に少ない部分の関節拘縮(元々可動性が低いので可動域の測定が困難)の存在が滑らかな動きを阻害していることがよくあります。そこへの理解は患者の身体を嫌という程触り、正常と異常がわかることでしか、理解出来ないように思います。まさに職人の世界で、誰でもわかるとはとても思えません。そこへの理解なく、治療を施しても、いい結果が現れないのは当然のことです。

海外で考え出された療法が、理学療法士・作業療法士により、日本に輸入され、なかなかいい結果が出ないのはそういうことではないかと思います。もちろん熟練した理学療法士であれば結果を出されていると思います。

だから、本当に大切なのは、誰でも同じことが出来る治療ではなく、患者の身体を正確に把握できる力量を持った施術者ではないかと思います。

料理人や美容師、教師、写真家どんな職業も同じことをしたら同じ結果が出ないのは腕の差だと考えるのに、こと命にかかわる最も大切な医療保険における治療に関して、個人の腕より科学的根拠に重きを置き、資格者になれば同じことが出来ることが大切と考えるのはおかしなことではないかと思います。
医療保険を適用するのに必要な考え方かもしれませんが、それは必要条件であり、医療の評価を決める絶対条件になるのは本末転倒な気がします。

まあ、ここで吠えても仕方がないのですが。

本当は今日のブログには50代男性の患者様と私たちの今年の取り組みについて書こうと考えていました――これは、今年新たな気持ちで立ち向かおうとする話の前提です。みんなが歩行は無理だと考えている方の歩行の可能性に、昨年までは消極的に関わってきましたが、今年はもう少し積極的に関わるぞという決意を次回に書こうと思います。

いつも心に太陽を。
身体が動かなくても年寄りでも心の太陽が消えませんように。曇天の雲を吹き飛ばすほんの小さな風になれたら幸せ。

マスミさんのこと(脳卒中の後遺症)

マスミさんは息子と二人暮らしの80歳の女性。脳卒中の後遺症で左上下肢の不全麻痺があります。

歩く練習はするけど、左上肢の訓練はしないし、麻痺で浮腫がひどいので、せめて浮腫の改善をというケアマネジャーからの依頼で訪問を開始してから3年がたとうとしています。

脳卒中の後遺症の麻痺がある場合、多くは屈筋と伸筋のバランスが悪いせいで、筋膜が内旋し、結果浮腫が目立ち、それが余計に麻痺の回復を遅らせてしまいます。

マスミさんも例外ではなく、筋膜の内旋のリリースを行なった後浮腫はほぼ消失しました。それから彼女は、自分のことくらい自分でしたいとほとんど実用的ではなかった左手を使い洗濯物を干し、押さえることでなんとか食べていたヨーグルトを持って食べられるようにまで回復を勝ち取って来られました。

そんな彼女が、今日はなんとか親指と人差し指で物をつまめるように練習をしている。動かないから右手をみて、同じように動かすつもりでしていると、上手につまむ様子を見せて下さいました。

ミラーボックスというリハビリ(*)があります。箱のなかに斜めに鏡が入っていて、その中に手を入れて、麻痺のない手の動きを鏡に写すことで、脳が鏡にうつった麻痺のない手を、麻痺の手と勘違いして麻痺を回復させるやり方です。
彼女は自分でそのやり方と同じことを考え出してさらに麻痺を回復させていらっしゃるのです。

仕事なので、患者さんよりいろいろなことを知っていたり、経験を積んでいたりします。でも、そのことが自分の中で勝手なゴールを作り出したり、この人には無理と決めつけてしまったりすることがあります。

患者さんの諦めきれない気持ちに、応えきれない技術でどう応えていくか、生活に支障をきたさないようにどう関わるか、反省させられる出来事が続いています。
マスミさんの回復ぶりをみて、自分勝手なやり方をまた反省させられました。

できること、できないこと。できなくても共に努力して見る価値のあること。再考しながらまた明日も仕事をしようと思います。

 

(*)ミラーボックスが具体的にどんなものか、「ミラーボックス リハビリ」という言葉で画像を検索してみてください。どんなリハビリかわかります。

例えばこちらのサイトにも画像があります ↓

http://www.toyophysical.co.jp/21-mirror.html

誠実であること

今日はちょっと心がざわついた一日でした。

治療の方針をめぐり、本人や関係者と意見が食い違う時は、落としどころが見つかるまで、本当に心がザワザワします。自分が一番正しいというわけじゃないから余計にです。自分でないセラピストのきれいな言葉の裏に実現可能性が見つけられない時や、治療のやり方こそが事態を悪化させているんじゃないかと思える時。あくまで私個人の見解であるがゆえに一日中ため息ばかりついてるっていうことになります。
長い時間をかけて考え続け、行く末を見守る中で私が間違っていたということもあります。でも渦中にいる時は、もうひたすらため息をつくのみって感じです😩
今日はそんなことが重なった日となりました。

その一つは、ある治療院が、筋側索萎縮性硬化症(ALS)の方に”原因不明の病気はありません。ストレスが原因だから、ストレスを取り除く治療をしましょう”と言ったと聞いたことです。患者さんの行き場のない心を知っているだけになんの言葉も出ませんでした。

どんな治療も、もちろん西洋医学も東洋医学も魔法はないと考えています。あるのは身体の足りない部分を補えるだけであり、とりわけ身体障害に対する治療は、疾病による症状のどの部分が補えると考えるのか、どの部分を補うのかそれぞれ見解の分かれるところなのだと考えています。私たち治療師は全ての症例に対しいつも誠実でならねばならないと考えています。

患者さんのご家族の作品。花屋歴30年の大ベテラン。