「大脳皮質基底核変性症」の臨床にチームの一員で関わること

大脳皮質基底核変性症という病気があります。

ググッてみても、難しくて具体的に他の神経難病との違いがわかりません。

臨床経験のない初めての疾患の時は、いつもお世話になっている秦診療所の秦先生にどういう病気かを尋ねます。

秦先生は、福祉関係者や私たちマッサージ師のために月に一度無料で勉強会を開き、医療の基礎知識を教えて下さっています。

もう10年以上続けて下さっていて、わたしの仕事を「特別」にしてくれているのは、この勉強会の果たしている役割がとても大きいと思います。

とてもわかりやすく身体に起きる変化や気にするべきポイントを教えて下さるのです。

それでこの神経難病のことも尋ねてみました。

「パーキンソン病とよく似ているけれど、抗パーキンソン薬が効きにくく、進行が早い。そして、転倒が多いのは、後頚部が硬くなり、足元が見えないから。」と教えて下さいました。

そう教えていただいてから5年。
脳の進行性の病変には、なかなか太刀打ちできません。転倒、骨折、怪我を繰り返すたびに症状も進行してきました。が、とりあえず後頚部が硬くなることを少しでも軽減すべく施術を続けてきました。

後頚部の硬直は、筋萎縮が進行すると、まっすぐ硬くなるというだけでなく、顎が上がって首が後ろに反ってしまいます。
そうなると、顔の筋肉もますます硬直・緊張するので、食べたり飲んだり話したりという機能も一気に奪われてしまいます。

それでもなんとかギリギリ飲み込みが保てていましたが、徐々に嚥下に障害が出てきたので、訪問看護師さんが新しくチームに加わることになりました。

この方は、自分でベッドに臥床したままお水を飲まれていました。
食事はベッドから起きてベッドの端に座り、倒れないように、紐でサポートしながら(つまり紐で縛って固定して)ご家族の介助で食べていらっしゃったのです。
どちらも医療の常識から考えると、誤嚥を誘発するようなやり方ですが、それでなんとかうまく生活出来ていたので、ケアマネジャーさんやヘルパーさん、リハビリの先生も何も言わずそのまま続いてきていました。

が、これを見たあらたに加わった看護師さんは、改善指導されたのです。リハビリの先生も合意され正生活の改善が一気になされました。

水分は寝たまま飲まない。手元に届くところに水分を置くと寝たまま飲まれるので、だれか援助者が来た時に(定期的にだれかが入るので)ベッドをギャッジアップして水分補給をする。
食事もベッドをギャッジアップして行うことになりました。

誤嚥を防ぐためには、当たり前のことです。

ところが、これを実行するようになりすぐに、嚥下が困難になり、むせて入らなくなってしまったのです。

私は、この方が大脳皮質基底核変性症だったからなのだと思いました。
首が後ろに反る症状に対して、ギャッジアップで後頭部を押し上げる形になり、その反作用で後傾が一気に進んだのだと思いました。

また、ずっと臥床して水分補給をしている場合、気道も食道もそれに合わせて変化しているので、必ずしもそれが誤嚥に結びつくわけではないのではないか、いきなりやり方を変えることの方が誤嚥を誘発するのではないかと考えました。

こういう時はマッサージ師である身は本当に困ります。私以上のスペシャリストであるリハビリの先生も訪問看護師さんも関わっていらっしゃっることに異をとなえるのはなかなか困難です。
頚部硬直は、ググッても出てきません。もしかしたら秦先生の臨床から得られたことかも知れませんが、私は秦先生のおかげでより詳しい症状を知っているのです。

ケアマネジャーさんに現状を報告させて頂きましたが、ケアマネジャーさんも看護師とリハビリの先生の方針だから誤嚥防止のためだしと言われたので私もそれ以上は言えませんでした。

それで、仕方がないので、秦先生に尋ねました。先生はそういうことは考えられるから、指示書を出している医師に報告してみるのがいいのではないかと助言して下さいました。

それでちょうど同意書を再同意をいただく時期でしたから、私の考えと現状を報告しました。

しばらく様子を見ていましたが、方針は変わらず、患者さんの状態は徐々に悪化傾向に見えましたから、訪問看護師さんにFAXで尋ねてみることにしました。

少し意見を言うだけでも反発にあい、仕事がうまくいかなくなることもよくあるので、ヒヤヒヤしながらいましたが、訪問看護師さんが、とてもいい方で、リハビリの先生にも話をして下さり、方針を考え直して下さったのです。

リハビリの先生がきちんと評価をして、むせなければ、寝たままの水分補給も大丈夫ということに方針が変更になりました。
食事はご家族の介助がしやすいようにする事を基本に、もとのやり方に戻ったのでした。

やり方の変更が一気に症状を加速させた面はありますが、根底には病気自体の進行があり、将来的なことを考えれば、徐々に介護・看護のやり方を変えていかなければならない時期に入っていたのでした。

それで、そうこうしているうちにこの患者さんは、誤嚥性肺炎で入院になってしまわれました。

しかしながら、これらのやり取りは全く無駄にならず、退院される前のカンファレンスで顔を合わせた時は、お互いが信頼し合えるチームの中に私も入れてもらえているように感じられ、とても嬉しくなりました。

患者さんのレベルはかなり落ちてしまいましたが、少しでも「楽に、心地よい」毎日が続くようチームの一員として関われたらと思っています。

そして、この話にはもう一つとても嬉しいおまけがありました。

退院カンファレンスの時に、病院のリハビリの先生が、
「この患者さんの問題は、頚部の筋緊張です。これは、リハビリだけの取り組みでなく、他職種連携の中で取り組む必要があります」
と何度も言って下さったのです。

私の報告書を読んで言って下さったという証拠はないのだけれど、リハビリの先生がこんなことを言われたのを聞いたことがないので、私の報告書を先生もリハビリの先生もちゃんと読んで下さったのかなぁと嬉し恥ずかし、とてもいい気持ちになりました😊

何が一番難しいって、自分の意見を人に伝えることほど難しいことはありません。
コミニケーション能力を磨きつつ、多くの人に支えられていることを忘れずチームの人を信じて取り組んでいけたらと思っています。

こういうことが、私を保険治療の一員でありたいと強く思わせるのです。
どうぞよろしくお願い致します。

これは、南禅寺の紅葉🍁
うまくいってるときはこんな気持ちになれます🍁

生きる場に必要な「リハビリ」

先週の金曜日のミーティングは、久しぶりにマッサージの実技の練習をしました。

わたしは、他の人が施術した患者さんの身体を触ると、ある程度はその人の”腕前”がわかります。
スタッフそれぞれに個性があり、その施術もそれぞれの個性が出てきますが、よくないクセが目立つようになってきたのでマッサージをしてもらったのです。

すると意外なことに(笑)前より指のあたりも探り方も上手になっているではありませんか!

それでも、患者さんの身体がうまく調整できないいくつかの点を指導しましたが、
「こんなうまくなってるのに、なんで患者さんにもっと返せないのかな?」
と尋ねると、一人のスタッフが
「患者さんは、正常な身体じゃないからです」
と教えてくれました。

とてもシンプルな答えだけど、なんだかそうなんだとしみじみ実感しました。

私は、この仕事をして24年目になりました。
この24年という歳月の中で、私は、簡単には経験できない、とても恵まれた環境の中で、臨床を積んでくることが出来ました。

この24年を知るお医者さんからも、こう言われました。

「安井さんは特別。安井さんみたいな経験をしている人はいない。」

特別な経験とは、介護保険導入前の医療と福祉が連携を必要とした自主的な取り組みの中で、私が訪問マッサージの仕事をスタートすることが出来たことです。

その中でチームで患者さんを支えることを学ばせていただきました。

それは、「在宅医療」を模索しながら、看護をサポートするために医師が動くという取り組みの一員に入れてもらい、個々の患者さんの神経内科的な説明から起こりうる症状の説明を受けながら訪問マッサージに関わるといった具合でした。

私の周りには、いつも様々な職種の大先輩がいらして、経験のない私の疑問や困り事の全てを受け入れて、そして助言して下さったように思います。(実際には、患者さんの困り事や愚痴を長い目で見ることも出来ず、騒ぎ立てた私を傷つけることなく、説いて大切な視点を教えて下さったのだと思います)

この中で、慢性期のリハビリテーションに必要なものは何か。マッサージ師の私に出来ることは何なのかを問い続けてきました。

半年後・一年後・三年後・五年後のゴール設定において最も大切なことは何なのか。

辛くて痛いのがリハビリという考えのもと、必死に取り組み、力尽きて寝たきりになった方を数多くみてきました。

また、全く機能訓練的な取り組みがなく、身体が小さく固まってしまい、寝返りやオムツ交換すらままならくなった方々も見てきました。

その中で、私の一番長い付き合いの患者さんは20年に及びます。
私の果たした役割は全く大きくありませんでした。しかし、僭越ながら私の存在なしには無理だったかもしれないとも思っています。

私がしたことは、本人が行う動作がしにくくならないよう出来る限りトレーナーとしての役割を果たすことでした。本人の意思がとても強く、こちらの考えや計画を受け入れられなかったのです。
私はこの方のやり方に合わすしかなかったのです。

ご本人の意思に沿って、優しく筋肉を整え、出来る動作を少し手伝って、一人でするより難易度の高いことをしてもらうを施術の基本にしてきました。

その結果、20年に渡る在宅生活を送っていらっしゃるのです。

もちろん私だけでなく、ヘルパー、訪問看護、デイサービス、往診、福祉用具、ケアマネジャー、それからご家族の熱心な介護があってのことですが、全ては、ご本人の意思を中心に動いてきたように思います、
私はこのケースから本当に大切なことをたくさん学びました。

筋肉を整えるということは、動作が軽く出来るようにするということです。
いつもの動作がより軽く出来ることで、自信が湧いて少し難しいことも出来ます。介助することでより安心な動作に繋がり、意欲が高まるし、また繰り返しすることで関節の状態がよりよくなり、施術後の日常生活動作により繋がっていくのです。

筋力を測ることも関節可動域を測ることもできませんが、筋肉をベストに保つことは、マッサージ師として何より大切なことです。
これが全てのリハビリの基本に繋がると信じています。

これは、私が、病院ではない、生きる場に必要な「リハビリ」として見つけてきたやり方です。

疾患や個々人の体型によりベストに保つべきポイントは、違ってきます。このポイントは、お医者さんや看護師さん、ケースワーカーさんなどに教わりながら覚えてきました。
ここが、私を「特別」にしている点かなと思います。

この「特別」を誰かに伝えていきたいといつも思ってはいますが、なかなかチャンスがありません。いつかこのチャンスがめぐってきて、私を育てて下さった全ての方にご恩返しが出来る日が来るといいなと思っています。

が、まずは自分の仕事をより良く取り組んで行きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

今日は気持ちの良い秋晴れになりました。

ごまめは力をつけても歯ぎしりをする

昨夜は、いろいろいつも助けて頂いているお医者さんと看護師さんと食事を楽しみました。

おしゃべりな私はついつい一人でいろいろ話すぎたことを思い出し、今頃になって自己嫌悪に陥いっています。

それでも、お医者さんが「いろんな思いがいっぱい溜まっているんやろなぁ」と言って下さったのを思い出し少し救われた気分にもなっています。

自分では、ただただ仕事がいただけるように、日々真剣にやっているにすぎないのですが、訪問マッサージの置かれている状況が厳しすぎて、「なんとなく」仕事をしていられないのです。

マッサージ治療院も飽和状態にあり、また、訪問リハビリもどんどん増え、その上に、マッサージの同意書を書かないように医師会からも締め付けが厳しくなっていると聞きます。

実際のところ、経験の少ない若い理学療法士の訪問リハビリは、マッサージ施術以上の効果を本当に発揮しているとは限らないように思います。時代の要請で訪問リハビリの仕事は多く、その結果、研鑽や反省することが少なくないような話を耳にすることもよくあるからです。

また、喜ばしい事ではありませんが、マッサージの保険点数は、訪問リハビリの3分の1程度ではないか、つまり医療費の節約になるのになとも思います。

いろいろ言ってもごまめの歯ぎしりのようなものですが、この数年の厳しさの中で、おかげ様で、私だけでなく我が治療院全員のレベルは少しずつ向上してきているように思います。

圧倒的な臨床経験と技術力、医療人としての確たる倫理観だけが生き残る力の元になると考えています。

「ゴマメ」は力をつけて歯ぎしりしながら、頑張ります❣️

どうぞよろしくお願い致します。

気持ちいい天気です🍁🍁

いつもの会話を繰り返すこと

「私はアホの見本。私みたいなアホを相手してくれるおかげで、私は幸せに暮らせます」

と言って私を迎えて下さる患者さんがいらっしゃいます。

「アホの見本」⁇
どんなのをアホの見本というのだろうと思い描きます。総合的に考えて、
「あー。私のことですやん」と返事します。

「なんで~。よう言わはるわ。先生は賢いから、こんなアホの世話が出来るんですよ」

「みなさんの優しさのおかげで働けてるんですよ。ほんまにアホは私ですねん」

この方とは、こんな会話を行くたびごとに繰り返します。

認知症の人と話す時は、定番の会話を繰り返すのが本当に大切なのです。出来るだけ相槌がぞんざいにならないように工夫しながら、繰り返す会話は、患者さんに安心感を与えるように思います。

たまに患者さんのことが知りたくて、余計な質問をするとうまく答えられなくて、追い込んでしまい、イライラさせてしまうという失敗をします。

それでいつも安定の繰り返しになるように心がけています。

これは、繰り返しの会話の一部ですが、私は本当にそう思っています。

こんな風に上手に褒めて人と付き合えるこの方を本当に頭のいい方だと思っています。私はとてもこんな風に上手に人に挨拶ししたり、褒めたり出来ません。
話をしながら、こんな風に謙遜される、この方の人生の苦労に思いを馳せます。

この仕事を始めて、24年目になりました。

この24年間は、世間の常識も人との付き合い方も何も知らなかった私が、患者さんに一つ一つ教わりながら、数々の失敗を許してもらいながら過ごしてきた時間でした。

マッサージをしながらする話は、本当に徒然なるままで、今夜のおかずの話から、幼少期の話、人との付き合いの困難さなど多岐にわたりますが、どんな会話にも人生の重みを感じることができて、とても興味深いのです。

二十代からこのような話に触れることで、私の心はかつてない成長を遂げたように思っています。

そして、世間知らずの様々の無礼を許して下さる患者さんの寛大な心のおかげでここまで仕事を続けてくることが出来ました。

おかげで技術の向上・研鑽も出来てきたと思っています。
ですから、私の持てる技術を精一杯次の患者さんに生かすことが一番の恩返しだと思っています。

患者さんの話を聞きながら施術する時間が大好きです。この幸せな時間が続きますように。
精一杯頑張りたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

患者さんからのおすそ分け。カリフォルニアから来たザクロです。日本のと違って甘くて美味しかったです。

人との真剣勝負

日曜日にマッサージをしながらして聞いた、患者さんの言葉があまりにカッコイイ。

「息子が高校生の頃、少しやんちゃな子で、バイクが好きだから、高校を中退してレーサーになりたい、と言い出したんです。

こうなったら、私と息子の真剣勝負です。
なりたいという息子と中退をすることはならんという私。
闘いです。先々のことも考え親としてどう責任をとるかですからね。」

子どもが親の価値観から出た生き方を望んだ時は、全身全霊で勝負をする。
子どもを一人の人間として尊重しているからこそ出てくるだろう考え方を耳にして、思わずマッサージの手が止まってしまいました。

こんなことをさらりと言うことができるのは、いつもこういう生き方をされているからなのだろうと思います。

この患者さんには、二週間に一度訪問することになっています。

頚椎症術後ですが、足がうまく動かず、家の中を移動するのも一苦労。お風呂の後の着替えが大変なのでお風呂に入りたくなくなるくらいなのに、主治医が同意書を書いてくれないので自費治療になってしまった患者さんです。

辛そうでも必死で生きる患者さんに施せる手がない時は、マッサージでもしてもらってみるかという気持ちになって下さる先生は少なくありませんが、残念ながら同意を得ることは出来ませんでした。

よくよく聞いてみると、

「自分の納得のいかない説明をされるともう話す気になりません。足の痛みに対してきちんと納得のいく説明なしに、手術しかないというようなことを言われるともう話をしようと思わないのです」というように、医師との信頼関係ができていない場合に、マッサージの同意を得るのは難しいように思います。

立ち上がるのも大変な状態なのに、きっとこの患者さんは、自分の大変さを見ようともせず、触ることなくレントゲンの所見だけで、簡単に手術という先生に身も心もまったく委ねることなく、涼しい顔で診察室から出て来られる姿が目に浮かぶくらい凛とした方です。

こういう真に自立的な精神の持ち主に、必要なのは権利であり、医者の温情としての同意書ではないでしょうか。

そして、この患者さんは、当然のように自費治療でお願いしますと言って下さいました。

こういう方に自費で治療をさせてもらえるというのは、大変光栄なことですし、この気持ちになんとか応えたいと思います。
結果を出すには週一回でも少ないように思いますが、ご本人の努力・懐事情を考えれば二週間に一度でもなんとかならないか奮闘中です。

手術により、もう麻痺はなく、ただ長年の筋萎縮や骨格の変化が起居動作を困難にしているだけではないかと考えているねで、その修正していくことで機能向上を図れるはずです。

治療を開始して3か月。
起き上がりや立位・歩行はスムーズになり安定してきましたが、まだまだ症状が改善したというには課題が多く残っています。

私も患者さんの身体との真剣勝負なわけです。逃げずに頑張りたいと思います。

整形外科にあった椎骨の模型図。
骨の形は、はそそられるものの一つですね😆

痛みを倍増させる「不安」について

いつもは元気印で冗談ばかり言ってみんなを和ませて下さる癌闘病中の患者さんが、足が痛くて歩けなくなってしまいました。

抗がん剤治療が始まり、その後しばらくすると足の痛みが増大するように見えていました。
おそらく抗がん剤の副作用で思うように動けず、筋力低下をきたし、結果的に下肢痛が起きているように思っていました。

でも、患者さんは、骨転移を心配されている様子でした。

先月の受診では、その可能性はなく、近くの整形外科を受診するように言われたということです。それでも消えない痛みに納得のいかないご様子で、痛みの訴えは日に日に大きくなり、自分で出来ていたこともできなくなってきたとおっしゃいます。

主治医の先生に再度痛みの消えないことを訴え、骨転移を心配していると言ったところ、痛みのあり方が、転移の出方とは違うと説明をして下さったそうです。

すると、その次の日から痛み止めを飲まなくても動けて、以前のように用事が出来るようになられました。

癌という病気の怖さは、その症状が命を奪うということだけでなく、転移・再発という恐怖が常につきまとうところなのかなと思います。

不安というのは、痛みを何倍にもさせてしまいます。
ことに高齢者の場合、痛みの原因と対処の仕方がわかれば、我慢出来る痛みは多くあるように思います。

痛みの治療というのは、時に、こういう心の中にある様々な感情をも理解し、その上で身体の異変に気付いていかないといけないのかなと考えます。

こんな時は、マッサージ師の私に出来ることは、ほとんどなくて、ただただ本人の気持ちに寄り添いながら、さするくらいしかできないこともあります。

自費治療なら、しばらくはお休み下さいと言われるところでしょう。

このような関わりは、計画的に目的意識的に関われる保険治療ならではの仕事かなとも思うわけです。でも、こういう目には見えない関わりの積み重ねこそが患者さんの明日の大きな力になっているように思うし、決まったマッサージ施術を行うよりうんと難しかったりするのです。

何はともあれ、「元気印」に少し元気が戻ってきてホッとしました。
もうしばらくお付き合いが続いていくことを祈りながら訪問を続けたいと思います。

北山で見つけたトウモロコシのモザイク画。
ようやく少し街を堪能する余裕が返ってきました!

10年間マッサージさせていただいた患者さん

この8月に、在宅から施設まで(施設入所後は保険が使えなくなり自費治療として)合わせて10年間、お付き合いさせて下さった患者さんが亡くなられました。

最初の訪問依頼は、徘徊ができなくなってしまったお母さんをもう一度歩かせて欲しいというものでした。

徘徊があった方の場合、その介護の大変さから、歩けなくなってホッとしたから、もう歩かないでほしいけど、寝たきりにはさせたくないという依頼を受けることが多い中(そんな上手くはなかなか行かないのですが)、こんな患者さん主体の家族さんもいらっしゃるんだと、どんな方かワクワクしながら面談に望んだように思います。

訪問してみると、わたしより10歳も若い娘さんが、若年性アルツハイマーのお母さんを介護されていました。

患者さんは、ロッキングチェアに座りニコニコされていたように思います。
しかしよく見ると、ロッキングチェアは改造してあり揺らすことが出来なくなっていて、代わりにコマがついて転がして移動出来るようになっていました。

いつも、おしゃれで清潔な洋服に、髪の毛は綺麗に整えられていて、日常的な全てにおいて、自分のことが自分ですることが出来ない、自分の口でうまく自分を表現することが出来ないということ以外は、常に周りの人間を気遣い、自分を気遣われないことには傷つき、そして、いつも娘を心配し、娘が母親に対するリスペクトが足りないと傷つき不機嫌になる、感受性が豊かで、心優しい人。

これが、最初から最後まで変わらないこの患者さんの印象です。

アルツハイマー病は、認知症状と合わせて、身体的には、パーキンソン病と同じような症状を表します。
バランス障害を伴うため、歩けば歩くほどに、重心位置がずれてきて、転倒しないように力を入れれば、入れるほどに、筋肉は固くなりスムーズな動きが出来なくなっていきます。

そしてある日全く歩けなくなるということが起きてしまうように思います。

それは症状の進行ではあるのですが、運動力学的に考えれば、重心位置のズレに伴う筋肉の緊張をその都度戻していけば同じような身体状況で過ごすことが出来、動き続けることで脳の萎縮の進行を最小限に食い止めることが出来るのではないかと考えています。

この方の最大の問題は、日常生活動作に結びつくことに関しては、自発的な動作が困難ということでした。手も足も動くのに、ご飯を自分では食べられない。立って足は動くのに、歩くことは出来ませんでした。

それでも、半ば強引に、室内外を歩いたり(歩かせたりです)、椅子から床に寝たり、床から立ったり、マッサージをしたりしてきました。ひきつれた筋肉を元に戻すのに、優しくないやり方をしたこともしばしばで、「いってぇー」と言わせてしまうこともしばしばでした。

自発的に出来ないことの一番は、気持ちを口から伝えられないことでしたが、思わず出る言葉、意識せず口から出る言葉、相槌や鼻歌は言えるけど、言いたいと思うことは多分ほとんど表現出来なかったのではないかと思います。

ですから、二人きりで、声をかけられ、返答を求められるのは、多分苦痛だったように思います。
そのかわり、私がマッサージをしながら、ご家族と取り留めなく話しているのがお気に入りで、そんな時は、一緒に笑ったり、「そうだよー」と、相槌で二人の会話に割って入って下さったりしていました。

そして、今年に入り、インフルエンザから肺炎になり、食事もうまく喉を通らなくなってしまいました。
少しずつ弱っておられましたが、その姿が最初の頃の様子とほとんどお変わりがないので、アルツハイマーの進行や終末期に入っているのではなく、別の疾患がないか検査してはどうかと施設の職員さんが考えて下さいました。

施設の薦めで検査をしたのは、亡くなられる1か月くらい前でした。

病院の先生も患者さんの様子で、その話に納得してレントゲン撮影をして下さったそうですが、その結果は、アルツハイマーの末期で、今まで口から食事が入っていたことが不思議なくらい。明日命が尽きてもおかしくないと言われたそうです。

私たちは、その事実を知り、患者さんの出来ないことを「責め」励まし続けてきたことに大きなショックを受けました。

脳の指令が途絶えていく中で、みんなの期待に応えようと必死で生きている姿を見せてもらっていたのでした。

もう誰も頑張れと口にしなくなりました。ただただ心地よく過ごしていただけるように関わることを大切にしました。
そして、しばらく後、施設の職員さんとご家族さんがベット周りで談笑するのを聞きながら、本当に眠るように苦しむことなく亡くなられたそうです。

亡くなられたお顔はあまりに美しく、またマッサージをしたくなるくらいでした。

この方もまた、まさに「生きたように死んで行かれた」と思います。

この10年を振り返る時、治療師としては、申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
今ならもっと気持ちよく、もう少し機能を回復してあげられたのではないか、もっと楽に動かしてあげられたのではないかと思います。

本当に下手で未熟で申し訳ありませんでした。

それにもかかわらず、未熟な私を受け入れ、いつも気遣って下さったことに心から感謝です。

私は、治療をさせてもらい、暖かく大きな心に包んでもらいながら癒やされ続けてきたのだと思います。本当に本当にありがとうございました。

患者さん、最後まで自費治療をさせて下さったご家族、それから私の訪問をこころよく受け入れて下さった施設の方々に心よりお礼申し上げます。

体圧分散クッション。
仕事で使いたいといただいて来ましたが、私のものになりそうです。

自分の身体を通して考えること

㊗本庶佑先生 ノーベル医学・生理学賞受賞おめでとうございます🎉🎉

今回の研究は、
「感染症が大きな脅威でなくなったのと同じような日が、(がんでも)遅くとも今世紀中には訪れる」素晴らしい研究のようです。なんて素晴らしい!

私の毎日は、鍼治療を受けてすっかり元気になっていましたが、一週間の時間の経過とともに、少し体調不良が戻ってしまっているところがあります。

いつもは次の治療の便りが来る頃まで疲れ知らずで、そういえば疲れてきたかなと思うくらいなのですが、今回は少し違うように思います。
これは、鍼の効果が薄いということではなくて
私の体力がレベルダウンしていることだと思います。

この夏は、仕事で、遠方の移動が多かったため、自転車に乗ることがほとんどなく、車の移動に頼りきりでした。疲れ果て、ウオーキングレッスンもお休み…かなり筋力低下をきたしたみたいで、これが体調不良の根っこにあるように思います。

このような、耳の不調を、西洋医学的に、治療すれば、副鼻腔炎や上気道炎(いわゆる風邪)をこじらせたせいという考えのもとに炎症を治める治療がなされるかと思います。

また、鍼治療だと、気血の流れの滞りを改善するために、経絡に沿った治療を施すのかと思います。
今回の私の場合は、歯に問題があるという反応がでていると、その経絡に沿った治療をしてもらいました。

そのことを辻村先生には伝えていなかったのですが、実際に、歯磨きの時に膿(うみ)の味がしたので、虫歯かと思い緊急で受診していました(病院嫌いの私ですが、歯医者さんだけは、すぐに行きます)が、疲れからくる歯茎の炎症と言われて帰ってきていました。

辻村先生の鍼治療の後は、ウソみたいに、歯茎の炎症も、めまいも耳内圧の閉塞感も、少し耳の中が痛かったのもすっかり治っていました。

しかし、治療効果を長持ちさせていくには、筋力が衰えた身体には、さらにもう一つ、骨格バランスを整えることが大切な治療なんだろうと思います。

老化や障害による骨格の変化が身体に与える影響は、肩こりや腰痛だけではなく、内臓の働きを不十分にするとともに、耳などの器官を歪めたり引き吊れたりさせることで、その働きを阻害すると考えています。
ですから、根本的には身体の歪みを最小限にとどめることが、免疫力を高めることに繋がり、それは筋肉に直接働きかけるマッサージが一番得意とする分野ではないかと思います。

医学の進歩の中で、免疫の仕組みや臓器の機能について、より詳しく解明が進んでいます。
今までには、考えられなかったことがわかってきています。多くの常識が覆されているのです。

この流れのなかで、鍼の効果や、筋膜・筋肉の有機的な繋がりが科学的に明らかになっていくだろうと思います。
そして、近い将来、西洋医学的なアプローチと鍼灸マッサージ的なアプローチが、より総合的に施されるようになるのではないかと思っています。

私は、西洋医学的解剖学の世界で、陰陽論に依拠した身体のあり方を感じながら治療するのが大好きです。

決して、自慢出来ることではありませんが、私は、細分化された筋肉の働きや名前に、なかなか興味がもてず、一つ一つの働きを熟知していませんが、身体が有機的な一つらなりとして働く躍動的な生命の不思議を感じる瞬間が大好きです。
そこには、確かに経絡の流れとほぼ同じ繋がりが存在しているのを感じることが出来ます。

日進月歩に発展していく科学に取り残されないよう、古典からきちんと学びを得続けられるよう、日々精進を重ね、あまりに小さな力ではありますが、医療従事者として医療に貢献していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

我が師 辻村先生はやっぱりすごい

なかなかブログが書き進めません😢
日常にないことが二つ以上起きると、生活に不自由がないものからおざなりになってしまいます。

私ごとですが、夏の疲れからか、持病のメニエール病が少し顔をだしています。生まれつき三半規管が弱く、平衡感覚を視覚で補っているので、歪んだ空間(遊園地や公園の造形による)に行くと立っていられなかったりします。

しかしながら、この数年、治療交換会をしてもらっている辻村先生の鍼のおかげで、平衡感覚が格段に向上しています。
今までは少し疲れてた時に、目を閉じると自分がぐるぐる回っていました。
遊具に乗ったみたいにぐるぐる回るので、目を閉じる時に起きるぐるぐる回りは秘かな楽しみなくらい日常でしたが、それが少なくなってきていました。

しかし、一週間くらい前に、圧が変化して耳抜きが出来ない状態になってしまいました。
朝起きて、立ち上がったら、そんな感じになり、仕事を始め汗をかいているうちに治っていくのです。が、数日繰り返しているうちに、治るまでの時間が少しずつ長くなってきたので、ネットで検索してみたら「耳管狭窄症」というのが一番近い症状で出てきました。

副鼻腔炎や風邪の後耳管の炎症で起きることが多いとありましたが、一度なると厄介なもののように書いてありました。

耳周辺のリンパの流れが滞っているために起きているだろうというのは、汗をかくと治るので予想がついていました。
それで、腕のセルフマッサージと頸部を温めてみました。いい方向に向いているようですが、あと少しって感じです。

辻村先生の治療を思い出しました。
翳風(えいふう)というツボを使って治療されていたので、そこにパイオネックスという小さな鍼がついたテープの、マッサージ師でも使える鍼なし玉だけのゼロというのがあるのでそこに貼ってみました。

なんだかスッキリしたような気がして、ツボの偉大さを感じました。
しかし、立ち上がった瞬間、立ち上がれないくらいのめまいに襲われました。
それは、単なる悪化ではなく、リンパが流れたけど、左右のバランスが良くないせいで起きたのではないかと感じました。

しばらく時間を置いてみましたが、頭が揺れるとかなり激しいめまいが起きます。が、その程度は少しずつ収まりつつあるようでした。
パイオネックスの左右の場所を確かめて、片側を貼り直してみました。少し場所が違うように感じたからです。

めまいはそのうち収まりました。
耳管の異常も8割型治った気がしましたが、そこはいつ悪化するかもしれないと思っているところに、辻村先生から
「今月の治療はいつしよう?」と連絡が来ました。

まさに天の助けです。

今の状態を報告すると、辻村先生先生は、
「翳風は正解。あと全身の代謝を上げるように水分(水分)にもパイオネックスをしておき。早くしないと治りにくくなるからすぐに行こうか」と言って下さいましたが、休みがとれず、治療交換会は一週間後の今日になりました。

けれど、言われた通りに、水分にパイオネックスを貼ると、おしっこがじゃんじゃん出て(笑)耳もめまいもかなりスッキリしてきました。まだ爆弾を抱えている不安はあります。

根本的には、休息が必要なのではないかとわかっています。

緩急上手に生きていきたいものですが、ツボはすごいし、我が師辻村先生はやっぱりすごいとしみじみ感じています。

辻村先生は、もう70を超えていらっしゃいます。先生の治療のおかげで、更年期も疲れも知らずにいられています。先生が治療して下さらなくなったらどうしたらよいのかととても心配です。
先生も自分を治療してくれる鍼灸師が欲しいと言われていて、自分に代わる方(後継者)を探していらっしゃいます。

志しのある方は是非ご連絡お待ちしております。

私の治療は、辻村先生との出会いのおかげで全く次元の違うものに進化を遂げたように思っています。
私自身、まだまだ人体の神秘をめぐる旅の途中です。
この旅をともに歩んで下さる方との出会いを楽しみにしています。
どうぞよろしくお願い致します。

パイオネックスゼロとの出会いは私の治療を変化させました。すごい効果はまたもう少ししてから🤫

災害お見舞い

おはようございます。

猛暑、大雨、巨大台風に、北海道地震。

あまりにどうにもならない災害続きで言葉もありません。
被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。

当たり前に使えている電気がこんなにいとも簡単に途絶えてしまうことを知りました。
そして、電気が来ないということは、電気とセットのお湯や水道まで止めてしまうこと、それらがないことが生活に及ぼす影響を、京都で言えば、ほんの数時間ではありますが、知ることができました。

ライフラインが途絶えたままの状態が長く続くということがどれほど大変か…

これからも起こりうるだろう災害を前に、私は、前向きな気持ちになれない時もありますが、10代の息子たちの何がなんでも生き延びてやると強い気持ちを持っているのを聞きながら、備えだけはちゃんとしておこうと強く思っています。

昨日行ったスーパーには、2リットルの水が、売り切れてありませんでした。誰もがそんな気持ちなんだなぁと思いながら、しばらくして落ち着いた頃に様々取り揃えておこうと思っています。

秋風が気持ちいい季節がやってきました。
夏の間、少し心がダウンしていましたが、臨床的には面白い新たな発見と挑戦を続けています。
少しずつご報告していこうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

台風21号のため、公園の木々が風で倒れて、葉が舞い散っていました。
駆け足で行ってくれて助かりました。ゆっくり居座っていたら、被害はさらに拡大したに違いありません。