呪縛その3 機能訓練は本当に機能を向上させることが出来るのか
今日仕事に行った先での出来事です。
片麻痺で左不全麻痺(動かないわけではありませんが、器用には動かない麻痺の状態)があるけれど、自分のことはほとんど自分でできる患者さんが、私が来るのを待ってたように話をされました。
「ちょっと聞いてー。」
「昨日デイサービスに行って、お風呂から上がった時に、私みたいに手の動かない人がいて、その人は、私と違い、(患側肢の)指が三つ編みみたいになっていて、少しもつまんだりできないから、シャツが着られず困っていたので、少し手伝ってあげたんです。私も不自由だけどまだ動くから、片手で一生懸命手伝ったんです。
お風呂上がりで、はだかのままだと冷えて寒くなるし、少し手伝ってあげたんですよ。
そうしたら、職員さんが、
“手伝わないで、一人でやらせてあげて、リハビリだから”
って怒らはったんです。
私たちは、毎日家でなんとか頑張っているけど、片手で着替えるのは本当に大変で、お風呂上がりは特に濡れていて、片手で届かないところが引っかかるし、息が切れてハァーハァーするんですよ。リハビリのつもりか知らないけど、少し手伝ってくれたらいいのに、職員さんは、何のためにいるのか、怠けているのかなと思うんですよ」
このような話を聞くのは、初めてではありません。ここのようにリハビリを前提としたデイケアでは、普通のデイサービスと違って少し厳しいようです。
似たような話は他でもよく耳にします。
「怠けたいから手伝わない」わけでは決してないのでしょうが、こんな風にしか思われないやり方で、本当によい結果に結びつくのかなと疑問に思います。
こんな風な「若者」とのすれ違いを経験した患者さんの多くは、悔しくて「がんばろう」となるより、情け無い気持ちになって「早く死ねたらいいのに。コロッといかへんかな」と口にされることがよくあります。
機能訓練は、「出来ないこと」を評価し、その改善のためにプログラムを立て実行する。
これは、リハビリとしては当然の流れだと思いますが、相手は「どうやって死んでいくか」を考えているような方々なので、出来ないことを楽しく乗り越えられるならいいのでしょうが、苦労して獲得することに意味を見出すのは難しいこともあるように思います。
このことに、いち早く気がつくのは機能訓練をする側ではなくて、患者さん自身です。
やってもやっても良くならない、何のためにしているのかとなるのですが、出来ない自分が悪いのかもしれない、やめると寝たきりになったら困るという気持ちでいろいろなすれ違いを飲み込み、機能訓練を続けていらっしゃるようこともよくあります。
本当に、機能訓練をすれば出来ないことが改善したり、寝たきりを防ぐことができるのでしょうか?
私自身、介護保険以前から訪問マッサージに携わってきたので、訪問リハビリのサービスが始まるまでは、機能訓練の関わりを期待した仕事をたくさんいただいて来ました。
その頃は、私自身、機能回復・改善を絶対のものとして取り組み、寝たきりにならないためには、患者さん自身が弱っていく自分と闘い、それに立ち向かうことが必要だと考えていたように思います。
そんな時に、感染症から大腿部切断となり、そのショックで全くリハビリが進まず、起き上がることすら出来なかった患者さんに関わらせていただいたことがあります。
その患者さんの家には、一度も使われなかった義足がありました。私は、患者さんが、歩くことが出来たら、足を失ったショックから立ち直って下さると考え、義足による歩行に取り組みました。
初めてのことで、その装着の仕方など基本的なことから病院のリハビリの先生や義足屋さんに教えていただいたり、本を読んだりして、進めていったように思います。
患者さんは、起き上がることにすら、怖さを覚えていらっしゃったので、立つことや、ましてや義足で歩くことは本当に怖かっただろうと思いますが、数ヶ月後には、義足と4点歩行器という「杖」で、室外歩行が可能なレベルにまで到達することが出来たのです。
その時の私は、素晴らしい回復にとても満足していたように思います。
しかしながら、その患者さんにとって、失った足の代わりに得た義足の歩行は、怖くて面倒なものにすぎませんでした。
結果的には、ベッドと車椅子で暮らす生活がスムーズにこなせるようになり、また家族さんの負担は減り、老夫婦の穏やかな生活を送ることが出来るようにはなられましたが、足を失った悲しみは癒えることはなく、生活の中で、義足歩行をされることはありませんでした。
私は、自分の考える目標を患者さんに押し付けていたことにようやく気づくことが出来ました。穏やかな生活を目標にするなら、もっと私の訪問が待ち遠しくなるような他のやり方で良かったのです。
またその一方で、機能訓練は嫌だけどマッサージならしてもいいという仕事をいただくことも増えてきました。
マッサージが終わった後に、
「身体が軽くなった、これで元気がでて頑張れるわ」と言っていただいたり、
機能訓練はいらないけれど、マッサージの後なら身体が軽くなるから、歩いてみるのは嫌がられないということを多く経験するようになってきました。
あるいは、デイサービスもヘルパーさんもいらないけれど、マッサージならきてもらいたいという仕事をいただくこともあります。「ガンコで頑な」な人というのは、どんなに時間がかかっても、自分のやり方で生きていて、生活もなんとかされているという方で、そういう方々を多く目にしてきました。
加齢や障害があっても、自分を失わず生きていらっしゃる方たちの生き方に触れることで、機能訓練こそが寝たきりを防ぐという、私の中の呪いが少しずつ解けていったように思います。
生きることを支える一番大きな力は「生きたい」と思えることなのではないかと考えるようになってきたのです。その気持ちが一瞬であろうと湧いてくる時間を提供することが、何より大切なことではないかと思うようになりました。
機能訓練をすることが一番という呪いのため、患者さんの気持ちとすれ違っていても、提供している側は、気がつかないのではないかと思うのです。
患者さんの「生きる」を支えることが一番だと気がつけば、専門家として様々な角度からアプローチが可能になり、もっと効果的に関わっていけるのではないかと思います。
ある患者さんが、
「往診の先生は、9割人柄が大切だと思います。技術は1割でいいと思います。もし誤診で命が終わったとしても、あの先生が間違わはったんならもういいわ。年寄りはそう思うと思いますよ」
と話して下さいました。
人柄というのは、自分の気持ちに寄り添い、身体も心も任せられるということではないかと思います。
これが私たちがいつも心に留めておかなければいけないことなのかなぁと思っています。
機能訓練について考える時、この文章を書きながら、私自身に深く根ざしている機能訓練の呪いにようやく気がつき、書くことで、私の呪いを解き放てたように思います。自分の犯した罪を考えなおすのはつらいものですが、次の患者さんに必ず返すから許してくださいと祈りながらの作業になります。
次回、最後の呪いは私たちマッサージ師の大いなる呪い、コリは強い力で揉みほぐすものです。