子どもの教育や毎日のご飯、掃除の仕方やお金の使い方といった家の中で行われることの大半は、自分の育った環境の中から知らないうちに身につけていくことが多いように思います。
でも、私の場合は、毎日、他人の居住空間で仕事をしているので、親から受け取ったこと以上に、患者さんのやり方・考え方に影響を受けてきたように思います。
子育てもその中の一つです。
今の高齢者は、戦争体験者です。
物のなかった苦労話、学校に行っても勉強より動員で工場で働かされたことや、防空壕に隠れた話など、戦争の時の苦労話は、多く耳にしすぎて、私自身がその場合を陰から見ていたような気になるくらいです。
戦争の時代に生きた苦労は語り尽くせない一方で、今の教育が直面している問題について話す時、少なくない方が、自分たちには、教育勅語があり、きちんとした考え方の中で教育を受けてきたと、教育勅語を大きく評価されるのです。
戦後生まれの私の中では、教育勅語は軍国主義の象徴のようなもので、軍国主義による洗脳で、こういう全体主義的な考え方を良しとしているのかなと、初めの頃は、批判的に聞いてきたように思います。
でも度々そういう言葉を聞き、またそういう人たちの生きかたが”美しい”と思うことが多いので、あれ?これは軍国主義の洗脳と決めつけてはダメかもしれないと思うようになりました。
私の思う”美しさ”は、自分のいる場所で、自分の納得する秩序を保ち、そのために自己制御できる生き方です。
私は、そういう生活を垣間見た時、なんて美しい人だろうと思います。
他人の尺度ではなく自分の尺度で、それを保つために労力を費やす。
それは、お金で買えるものではありません。慎ましやかで美しい毎日がそこにあるように思います。
そういう暮らしを見たとき、こういう自律的な生き方はどこでどうやって獲得して来られたのかなといつも思うのです。
それは、教育勅語そのもの中や軍国主義の中にではなく、その中で自分を律する心や、自分さえ良ければいいということはよくないことであるという友愛の心が育まれたからなのかなと思うようになりました。
外敵にさらされにくい環境の、小さな島国で生きてきた日本が育んできた心なのかなと思います。
今、若い人たちの中で、このような美しさが失われてきているようにも思います。
そういうわけで、もうかなり手遅れかもしれませんが、自分を律する心、他人を思いやる心が宿るように厳しく子育てをするように心がけるようになりました。
自分自身が全く行き届いていないのでうまくいかないことまも多々ありますが、お年寄りから学んだことを生かしています。
私が訪問マッサージに飽きることがない大きな理由はこんなところにもあるのです。