Cさんは、悠生治療院の最高齢で、もうすぐ106歳のお誕生日を迎えられる方です。
私はとにかくCさんが大好きです。身体が弱っても何があっても、いつも大きく私を包み込んで下さる優しい方なのです。
そんなCさんですが、昨年までは、なんとか歩けていましたが、今はベッド上の暮らしになってしまいました。
この方は認知症というより、年相応の”ボケ”といった感じです。
記憶がはっきりしている時と妄想に支配されている時とが混在している感じです。(これを立派な認知症というのかもしれませんが…)
一人で過ごす時間が長くて、時に、様々な妄想の中を行ったり来たりして、現実と夢の境がなくなってしまうようです。
訪問時に、男が侵入してきた話や、お金を盗んでいく悪いヤツや、家を乗っ取ろうとする悪いヤツらの話ををして下さることもよくあります。
一人で家を守り抜いて来られたので、その不安感がこのような妄想を生み出すのかなと思います。
このような話の時は、私の返事は決まっています。
「105歳の方から泥棒するような悪いヤツは必ず神様が成敗してくれますよ。本当に悪いヤツですね!」
するとCさんの返事も決まっていて、
「そうや。私は神さまをちゃんと信心して来たから守ってもらってるんや」と言われて、悪党の話はおしまいになります。
昔の人らしく信心深い方なのです。
また、Cさんがよく話されることにお天気の話があります。
「今日は雨か?」「もう雨は止んだか」「寒いな」など言われます。
Cさんのお部屋に窓はなく、外は全く見えません。24時間、エアコンも電気もつけっぱなしです。テレビもラジオもついていません。
また、Cさんは、耳も遠くて(105歳ですからね!)雨音も聞こえていないだろうと思います。
でも、大概の天気予想が当たるのです。
本当に不思議です。
毎回私は、どうしてわかるの?と尋ねます。するとCさんは、決まって
「神や仏が教えてくれる」と言われます。
そんなCさんは、私が定期的に訪問していても、昼夜逆転していて、熟睡中で全く目が覚めない時があると「長らく見てないな、元気にしていたのか?」とおっしゃることもありますが、しっかり覚醒していて、たくさん話をしていても、「久しぶりやなぁ」と言われることもあります。記憶がどんな風になっているのか全く想像もつきません。
お一人暮らしなので、Cさんの生活は毎日のヘルパーさんや訪問看護さんに支えられていて、多くの方々が訪問されています。
昨年までは、私を含めて大概の人を記憶されていましたが、歩けなくなり、ほぼ寝たきりになってからはそれもあやしくなってきました。いろんな記憶がどんどんごちゃごちゃになっているように見えます。
そんな中、先日訪問した時、Cさんは、傾眠状態でした。
その日は、仕事が予定通りに進まず、時間が押していました。その後に会議が入っていて、いつもの施術時間の半分もいることができませんでした。
仕方ないので、明日に再訪すると言って失礼させてもらいました。
傾眠状態だったCさんですが、「忙しかったら、いいよ」と言って下さいました。少し衰えてきたとはいえ、相変わらずしっかりしてはるなぁと思いながら失礼しました。
そして、翌日は様々な予定外のことがかさなりCさんへの訪問ができないまま、一週間後の定期の訪問になってしまいました。
その日のCさんは、訪問した時からしっかり覚醒されていました。
「長いことみいひんかったなぁ。」
いつも熱烈歓迎、優しくて私をとてもいい気持ちにしてくれるCさんですが、今日は冷たい雰囲気です。
いつもと少し違うなと思いながら、「そんなことないですよ」と答えていましたが、Cさんの冷たい雰囲気は変わりません。
「人間は正直に生きなあかん。嘘をついたら、神様がちゃんとみている」と続きます。
前回に短く済ませ、翌日も出直せず、今日の訪問時においても、非礼を詫びない私への非難なのだと気がついて謝りました。
記憶が曖昧になってきたことをいいことに、再訪の約束を簡単に破り、謝りもしなかったことを恥ずかしく思いました。
しかしながら、Cさんが、一週間前の出来事を仔細に記憶できているのか、本当のところは、わかりません。
もしかしたら、そうではなく、私の中の罪悪感を敏感に感じ取って表現されているのかもしれませんし、またもしかしたら本当に神や仏が教えてるのかもしれません。
こんな時、
「本当に大切なことは目に見えないんだよ」
という星の王子様の言葉を思い出します。
人類だけが、獲得したのであろう大脳新皮質による思索や記憶が曖昧になる時、人は目には見えない大切なものを敏感に感じ取る能力を取り戻すように思うのですが、どうでしょう。