私ごとに様々翻弄されている間に桜の季節も終わろうとしています。
すっかりご無沙汰してしまいました。お久しぶりでございます。
まだ冬装束で過ごしている今の時期、急な気温の上昇で脱水になられる方が一番多い時期なように感じています。
わたしの治療院でも何人かの方が脱水気味になられました。そしてそのまま体調を崩されて、お二人の方がお亡くなりになられました。
お一人は癌の末期でわずか1カ月のおつきあいでした。もう一人の方は5年目のおつきあいになるところでした。
関わらせていただいたどの方にもそうですが、お亡くなりになられ、お付き合いが途絶えてしまうと、わたしはちゃんと自分の役割を果たせていただろうか、もっと違うやり方があったんじゃないだろうかなど様々な想いが頭の中を駆け巡ります。
それから、施術しながら話してくださったあれやこれやを思い返します。このあれやこれやは、患者さんのお家の近くに行った時や、何か思い起こすものを目にするたびに思い出します。
人生の全てを終えて、死を覚悟した人の励ましや助言下さる言葉というのは、美辞麗句のような上辺の言葉とはまるで違う、その方の人生の中から選び出されるもので、どんな言葉も私の心に染み入るように響いてきます。
訃報を知らされ、これらの言葉を思い出して一人声をだして泣きじゃくることがあります。
それは、亡くなられた別れの悲しみではなくて、癒していただいた心をもう一度自分の中で再確認しているように思います。
ご存命の間は自分のしなければならないことの方に気を取られていて、癒していただいている気持ちにフォーカスする余裕がないのではないかと思います。それで、訃報をいただいてから話していただいた様々を思い出し私の心がどんなにか癒されていたのか気づいて嗚咽するのだろうと思っています。
癒すとは、私もまた癒されているのだとしみじみと感じる瞬間です。
ご縁をいただき本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。