先日、若くして中途障害になられた患者様の訪問中、区役所の人と電話で何かお話されていました。詳しくはわかりませんが、役所の対応に憤慨されていたようでした。
このようなすれ違いの根っこにあるのは、制度の不足や憤慨する側の個人的な資質ではなくて、中途障害を受けながらも、懸命に生きていることに対するこちらの共感のなさにあるのではないかと思います。
若い中途障害者の患者様に訪問を始める時は、本当に緊張します。
中途障害を受けるということ自体が、健常で働いている私には想像出来ない苦しいことだからです。
その上に、機能回復は望めないとか、病状がやがて進行していくとか、治療方法はないなどと言われている患者様が、最後の望み、あるいはせめてもの救いの手としてマッサージを希望されることが多いからです。
身体が自由に動かないということは、動いている機能までも動きにくくすることであったり、循環器の機能をも低下させることになるので、機能の回復目的ではなくても、生活の質の向上のためにマッサージは多くの場合に力を発揮することができると考えています。
でもそんなことで満足するのは、する側の考えであり、医療的な"正しい"見解を受け入れることさえも簡単なことではない中で、最後の希望として仕事を始めることになるので、安易な発言を慎みながら、お役に立てる事を探さなくてはなりません。
でも、よくよく考えてみれば、機能的な障害という事以上に、働き盛りの、自分で自分のことが何でも出来るその時期に障害にみまわれ、手足の自由を奪われるということは、精神的に自分を支えている全てを奪われることに等しいのだろうと思います。
自分の考えで行えていたことが、一つ残らず一人では出来なくて、常に誰かしらの手助けを必要と
する状況を簡単に受け入れることができる方が稀だと思います。
でも、私も含めて、在宅支援サービスを提供する側はついつい、生活の利便性や保清のためには、こうすることが簡単で一番いい方法だと提示し、そのスタンダードに合わないと、やりにくい人だと批判的な目で見てしまうことが多いように思います。
自分でできない"わずか"の助けを求めたら、他人が家に入り込み、タンスの中身まで見、パンツの中まで、全てをさらけ出すことになります。
このような事態の中で、共感のない理解ない言動に出会えば、心がハリネズミみたいになってしまうのは、仕方ないことかなと私は思います。
老人や小さい頃からの障害者は、長い時間の中で数々の事を諦めた上に助けを受け入れられるようになっているだけで、それをスタンダードにしてはいけないように思います。
不満やすれ違いの元は、心の混乱や不安や苦悩、受け入れがたい状況に対する共感のない心ない対応に傷ついているのであって、クレームのためのクレームではないのです。
共感するということは、とりあえず一旦相手の言い分を聞くことだと思います。その上で努力したら、出来ること、どうしても出来ないことをきちんと伝える努力が必要だと思いますが、状況が苦しいのだから、その中の混乱や意地悪したくなる気持ちが相手の中に芽生える時は、少し大きな優しい眼で見てあげられるとこちらの対応にも余裕が生まれるように思います。
私も訪問マッサージを始めた頃は、若い中途障害の患者様から、怒鳴られて泣いてしまったり、あまりに厳しい言葉に言い返してしまい訪問が中止になることがありました。
もう亡くなられた患者様ですが、50代でリウマチを発症され、痛みの辛さを抱えながら機能低下が進行するのを防ぐためにと訪問させていただいていた患者様がおられました。
その方は、二人といないくらい厳しくて、気に入らないと私の人格にまで言及して来られる方でした。けれど、打ち解けて話がはずむと、10歳の少女みたいに可愛らしく、お母様を助け子守にあけくれた日のことを話して下さっていました。
10年以上の付き合いの中で、本当に無茶苦茶に言った後に笑いながら、「悪いなあ、あんたしかあたるとこないねん」と言って下さったことがありました。加齢とともに機能がどんどん低下するに従い、言葉がどんどんきつくなっていきましたが、その言葉に支えられ最後まで訪問することが出来ました。
受け止めるということの本当の意味をこの方に教えてもらったように思います。おかげで今はそれほど相手を傷つけることなく仕事が出来ているかなと思います。
先日、「中途障害者の支援に関わり始めると、他の仕事はしたくなるなる」と障害者支援センターの方がおっしゃっていました。パッケージされたサービスの提供ではない本当の支援に関わり出すと楽しすぎてやめられないのだそうです。
私もそんな気持ちになれるよう、困難なケース(つまり患者様の生活や心が安定しないケースという意味)をマッサージを通して関わって行けたらステキだなと思います。
未熟な人間ですが、謙虚に頑張っていきたいと思います。お気づきの点は、ご指摘いただけるとありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。