コロナ禍でも仕事をさせて頂けることに感謝しています。本当にありがとうございます。
「新しいケアマネ断ったんや」
えー!また!まだ一回しか会ったことないんちゃいましたっけ…
「またって…俺が悪いんちゃう。ものすごい腹黒いヤツやったんや」
腹黒いって…
よくよく話を聞くと――仕事が終わってから一時間以上かけてです――何があったわけでなく、言葉のすれ違いがあったようで、ケアマネさんが腹黒いというわけでなく、この患者さんの気持ちや心配事とケアマネさんの考えがすれ違っているのが大きな原因のように思いました。
これは、ケアマネさんと利用者さんの間に限ったことではなくて、誰にでも言える事なのでしょうが、この患者さん場合、こんな言葉が出てしまうほどのすれ違いには、ここにくるまでの数々の「所業」でケアマネさんとうまくいかず、ケアマネさんの交代のたびに引き継がれる「申し送り」に原因があるようでした。
元気な人が、アクシデントや突然の発病で生活全般にわたる変更を余儀なくされた場合、その変化を受け入れ、生きるしかないと諦めるには本当に長い時間を必要とするように思います。そしてその時間は、平穏に流れることはなく、頼るしかない様々のサービスに腹立たしさや不満を募らせながら、時に激しくぶつかり合うという時間なしにはなかなか難しいのかなと思います。
特にまだ働き盛りの方が、突然障害を受けてしまうと、仕事として関わる人に対して、「こんなやり方で、お金を稼いでいる、自分はこの病気にならなかったらこんなやる気のない人にお金を払って世話になることはないのに」というなんというか、同じ仕事人として、仕事の仕方をチェックしてしまったり、健常な時と同じ安心感で暮らしたいという今の現状では難しい、でも本当は当たり前の要求をしてしまう事でうまくいかないことがよくあるように思います。
この方の場合も詳しくは書けませんが、こんなやりとりを何年にもわたり続けてきてこられた末の出来事でした。
もし自分が同じ立場になったら当たり前に思える「怒り」も、サービス提供者が単なるクレーマー、自立心がない、依存体質などと決めつけてしまうことで、関係は、悪循環に陥り、うまくいかないことが、どんどん悪循環の歯車をクルクルと回してしまうように思います。
この悪循環の歯車で一番損をするのは、もちろん患者さんで、その悔しさや諦めの時間の結果、本意ではないかもしれませんが、患者さん自身が少しずつ変わっていかれます。つまり、長い時間をかけて少しずつ現実を受け入るしかないことを学んでいかれるように思います。
その間の悪循環の歯車を好転するために、私がどう振る舞えばよいのか、自分の立場や力量など考えて身動き出来ず、自分にガッカリすることもよくあります。
下手に動くと余計に患者さんにも迷惑をかけてしまう事も想定され、問題解決の方法を見極められず、しばらく静観かなぁと思っていた朝、イジメの新聞記事を見つけました。
どこで起きる問題も心の傷もその本質は一緒だとしみじみ思いました。
決めつけ・思い込みからさよならを。
利他的行動を基本に。
済んだことにこだわらず、未来を恐れず、イマの感じたことを大切に――そう自分に言い聞かせ、考え続けているところです。
コロナ禍のおかげで仕事が少なくなり、のんびりと働いて見えてきたこと、気付けたことを大切に自分らしく働けたら幸せだと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。