「鍼灸師マッサージ師の上手下手は、患者の自然治癒力を最大限引き出せるのが上医、引き出せ無いのは下医。相手の病人に合わせられる技量の差なんやね。今夜思い至った。」
鍼灸師の辻村先生から送られてきたメールです。
『黄帝内経』という現存する中国最古の医学書があるのですが、そこには「上工は未病を治す」と書かれているそうで、本当の上手い医者というのは、病気を治すことではなくて、病気になる前に患者の自然治療力を引き出し、その体質にあう治療を施し、病気に至ることを防ぐという考え方です。
この考え方はよく知られてもいるので、「患者の自然治療力を最大限引き出せるのが上医」というのは東洋医学において当たり前のように思いますが、辻村先生からのメールでしみじみ、治療師というのは、自分の技術の誇示という欲がある間は、上工には決してなれないのだろうと思い至りました。
何故って辻村先生の鍼治療のおかげで、私は更年期も肉体労働の疲れによる痛みも気にならなくなってしまいまうくらいの腕前を三年前に既に持っていらっしゃったのです。
先生から治療を受ける三年前までは、枯渇してきた女性ホルモンを出せと脳が命令するせいで、筋肉が絞られるように身体中が痛くて、とりわけ耳の後ろ辺りが痛くて目が覚めることもありました。
またマッサージで使い過ぎる腕は、月曜から金曜に近づいてくにつれ、肩甲骨周りが痛くて、土日の休養を身体が欲していました。
でも辻村先生の鍼治療を受けるようになり、そんなことがあったこともすっかり忘れてしまったくらい、私の身体は軽く変身してしまったのです。
こんな治療効果が出せる辻村先生が、今更ながら「思い至った」と言われるのには、私が未だ到達できない深い境地からさらに思い至ったということなのだろうと思うわけです。
それは、多分、単純に自然治癒力を引き出す治療を心がけるということではなくて、治療の主人公はやっぱり患者本人であり、治療師はほんの少しの手伝いをするに過ぎないと脇役になれる力なのかなと思います。
若い治療師の先生方を見ていると、かつての私もそうであったように、自分の技術力でなんとかしたいという欲からはなかなか自由になれないで、患者さんの身体ではなく、患者さんの身体に投影してる自分自身を見ているのだろうと思うことがよくあります。
私自身は今年、51歳になりましたが、私のこの一年は、患者さんの身体に寄り添うことを少し深く覚えることが出来た年になりました。
まだまだ自分勝手な治療ですが、その中でもうまくいかないことを患者さんに指摘される前に、ようやく自分で気がつけるようになってきました。そして、自分の影響力を加減するということを少しずつ学んでいるところです。
こういうわけで、治療師としての成長は、その内面的な成長抜きにはやはり難しいのかと思い至ってきたところですが、その熟成には、懐の計算や自己顕示欲の枯れる年齢まで待つしかない面があるのかもしれないと辻村先生のメールでしみじみと考えました。
それでも、向かう先が少しずつはっきり見えてきたので、澄みきった穏やかな心持ちで治療出来る世界に向けて歩みを進めていきたいと思います。
そのような境地に達することが出来るとすれば、何よりも幸せなんだろうなぁとうっとり想像します。
先日90歳を迎えた患者さんが、
「今振り返ると、50歳からが第二の人生の始まりだと思う。今からやで」
と言って下さいました。
第二の人生を穏やかに泳いで行きたいと思います。まだまだ必死の形相かなとは思いますが、この思いは確かです。どうぞよろしくお願い致します。