心は富士登山

仕事というのは本当に自分を映す鏡だとしみじみ思います。

私の心が仕事に向けて充実していると、当たり前のように仕事が頂けて、毎日が当たり前のように過ぎていきます。

反対に、他ごとに心を奪われたり、仕事の失敗を引きずって心がいじけたりしていると、どんどん仕事が減ってますます閉塞していくように思います。

私にとって目には見えない精神世界が、そこに確かに広がっているように感じるのは、こんな日々の営みがあるからです。

先日の話です。マッサージ施術をしながら、患者さんとお互いの昔話に花が咲きました。

私も患者さんもお互いに片親で育ったのでそんな苦労話をしたりしていました。

「幼い頃にジフテリアを患い、母親と離れたので、母親の顔も知らない。

父親は仕事をしていたので、あまり接することはなく、親しみが薄かったけれど、成人してからはあちこち旅行に連れて行ってもらった。

別府温泉に諏訪湖。いろんな温泉巡りをした。

でも旅行の一番最初は、富士山。
山小屋に泊まり、御来光も拝んだ。
五合目までバスで行っておしまいの人が多いやろ。
私が頂上まで登ったのは、人に自慢できるな?」と話してくださいました。

「今90歳で二十歳の頃に富士登山!すごいです。無茶苦茶に自慢できますよ。」

そんな話を繰り返して、施術を終えて帰ろうとした時です。
患者さんが咽び泣き始められたのです。
話しながら様々な気持ちが蘇ってきたのかと思います。

その涙は、悪いことばかりでなかった人生と今抑え込んでいる自分の事など、いつもは心に蓋をしていることを解き放った涙のように見えました。

私は何も特別なことはしていませんが、話を聞きながら、富士登山をするその方を空からこっそりと見ているような気持ちになりました。
そして、その後の患者さんの涙を含めて、このような時間を誰かと共有できる仕事をさせてもらっている事に心から感謝が湧いてきました。

夏の間、仕事がうまくいかないことも多くて、自らを省みなくてはと思いながらも、心の中で自分に言い訳ばかりしていました。

そんな時に患者さんと一緒にタイムトリップをして富士山に登ったような気持ちと、その後の患者さんの涙は、私の心まで解放してくれました。

長い間ブログを書く気持ちになれませんでしたが、ようやく心が前に向いてきたように思います。

また心新たに頑張ろうと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

外国人観光客の増えた京都。なかでも一番私の目を惹きつけるのは車椅子の旅行客。オシャレで臆する様子が全く見受けられない。同伴の方々も手を出し過ぎず、大概は電動の操作を見守っている姿に惚れ惚れします。
脚に障害があることと人間としての価値には何ら関係がないということをあまりに自然に、気負いなく過ごせるのは、周囲の理解とサポートあってのことなんだと思います。
がんばろー。まだまだな日本。

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