もう10年のお付き合いになる患者さんが今年に入り、インフルエンザから体調を崩され、入退院を繰り返しているうちに、食べたり飲んだり出来なくなって来られました。
アルツハイマーの患者さんが、末期に嚥下困難になるのは仕方ないことなのですが、もう長いこと、声も聞いたこともないのに、先日は何か話しているのを耳にすることができていたし、いつもの通り、目でちゃんと返事もしてくださいます。
末期じゃなくて、だだ体調不良なだけなんじゃないかと思ったりもしていました。
こんな想いは私だけじゃなくてケアマネさんたちも同じ気持ちだったようで、
「もしかしたらパーキンソン病からの嚥下困難ってことないですか」と声をかけてきて下さいました。
アルツハイマーの初期は、パーキンソン病やうつ病と判別が難しく、この方も診断が下るまであちこち受診したと聞いていました。
最近ではパーキンソン病ではなくても抗パーキンソン剤を処方することで活気が出ることがあり、私の別の患者さんもおかげで発語が増えたという話をご家族にさせていただきました。
そうして、一度神経内科を受診してみようということになりました。神経内科を受診されるのはもう15年ぶりということでした。
もし、パーキンソン病だったら、抗パーキンソン剤でまたいっぱい話が出来るようになったらすごいねなんてご家族と話しながら受診日を迎えました。
神経内科内科の医師も経過を聞き、本人を見て、「そうね。拘縮もないね。とりあえずCTを撮ってみましょう。」と言って下さったそうです。
しかし、CT画像が出来上がった時のお話は、
「治療の段階はもう終わっていて、末期の末期。今まで食べられていたことが不思議なくらいで、明日に亡くなっても不思議じゃない状態です。もう治療出来る段階にはなくて、あとは自然の流れにまかせていくのがいい」
というものでした。
それくらい脳は萎縮して真っ黒に写っていたのだそうです。
少しずつ弱って来られていたので、こういう日を覚悟されていたご家族ですが、その眼は涙で潤んでいました。
はっきりと現実を知らされた私も、思わずこぼれる涙を抑えることが出来ませんでした。
なんだか、今までの長い時間がこれからも続いていくような気に勝手になっていたように思います。
眼を閉じまま、その話を聞いていた患者さんは、最初の出会いの時にはすでに、うまく話すことが出来なくなっていらっしゃったのですが、いつも私と、ご家族の話を聞いて笑ったり、上手に相の手を入れて会話に入って来られるのが常でした。この時も、3人でいたのは久しぶりだったのですが、大きくニヤリと返事をして下さり、脳って何?と思わないではいられないご様子でした。
でも眼を閉じていらしたので、私たちの涙は伝わらず、受診の結果をただ明るく話している風に聞こえたのか、自分が「いらないもの」だと感じていらっしゃるのではないなかという気がしました。
ですので、
「違うよ。みんな泣いてるよ。今までも奇跡だから、これからまだ奇跡を起こしてくれると思ってるよ」と伝えました。
すると患者さんの眼にも涙が浮かびました。
脳って本当に不思議です。
食べることや生きるための基本動作さえ出来なくなるのに、自尊心や愛情を感じる心は元気な時のままなのです。
誰かが死に向かって行くとき、私は出来るだけ冷静に、いつも通りに接するようにしています。今は生きてるから今まで通りが一番の安心な時間になるように思うからです。
でもこの患者さんは、アルツハイマーという病気になることで、自分の存在が悪なんじゃないかというような不安と闘い続けて来られたように思います。ですから、今回は10年分の出会いの感謝をいっぱい表現しながら、思いっきりうろたえて、最期の時を迎えたいと思います。
アルツハイマーでも何にも出来なくても生きていいやん。今まで必死で頑張ってきたやん。楽して人の世話になったらいいやん。私は来るたび癒してもらってるやん。ありがとうですやん。
いっぱいいっぱいもっといっぱい、その感謝を伝えてあげていただろうかと振り返ってしまいそうです。
今さらながら、いっぱい伝えていきたいと思います。