勉強会「在宅での看取り」

高度医療も在宅ターミナルケアもその先に起きること、つまり生きることをどう考えるかで行き着く先は全く違って来ると改めて感じた勉強会・講演会に立て続けに参加できました。

その一つめは、毎月定期的に在宅医療に関わる人のために勉強会を開いて下さっている秦診療所の秦先生の勉強会です。

今回のテーマは、「在宅での看取り」。

人生の最終段階における医療のあり方は、医療が高度になリ、病院で身体中、管で繋がれるスパゲティ症候群と呼ばれる状態が当たり前だった時代から、延命措置を行わない尊厳死や、積極的治療を行わず丁寧なケアにより穏やかな終末を迎えることができるとする平穏死などが提唱されるようになり、最期の迎え方は多様になり自分たちのライフスタイルや考え方に合わせて、やり方やその場所を選びとることができるようになってきているそうです。

しかしながら、終末期かどうかの判断を下すのはそんなに簡単ではなく、治療をすればまた元気に生活できるようになることもあり、いつの段階が、患者に負担を強いるだけの無駄な延命治療かを判断するのは難しいそうです。

また、秦先生は、「死ぬ権利」が「死ぬ義務」に、
家族の「死なせる権利」が「死なせる義務」になることをとても憂えていらっしゃいました。

何も出来なくなったら死にたい・死なせてほしいは、
何も出来ないから、死ななければならないに変わってしまうという危険をはらんでいるのだと。

患者様のお辛そうなご様子を見ていると、お迎えが来た時は、寂しさより良かったという気持ちが勝つこともよくあります。でも、それが「死ななければならない」になってしまうのは、やはり人間の尊厳からは遠ざかることであり、そこにすり替わるのは容易いことなのだと言われて、なるほどその通りだと思いました。

こういう、役に立たない人間=障害者や高齢者は必要ないとする優生思想は絶対にダメ。
戦争中にはこの優生思想がまかり通って来たが、そこに返っては絶対にいけない。
「何にも出来なくても生きていいやん。
寝たきりは生きたらあきませんか」と話して下さいました。

お金のためとか、医療側の都合ということでなく、医師の倫理としては、どんな命も大切にし治療しなければいけないのだそうです。

厚生労働省は、来るべき時多死社会=算定では、年間160万人以上の命が失われ、日本の人口が8000万人にまで減少していく=に備え、医療費の削減を目指し、在宅での看取りを推し進めて来ているそうです。
そのなかで、様々な終末の迎え方の選択肢が広がり、アドバンス・ケア・プランニングという事前にどうするか打ち合わせておくという考え方が取り入れられてきたということでした。

秦先生自身は、もう20年前から、患者様自身の、家で死にたいという気持ちに寄り添うための医療を模索してきたので、今起きている様々なことは、僕たちがずっとやってきたことで新しいことではないと思っているし、様々な選択肢の広がりの中で在宅での看取りへのこだわりはなくなったとおっしゃっていました。

この勉強会を通して、社会状況や医療の在り方がどうであろうと、今目の前に関わっている患者様に対して、ご本人の意志を尊重し、気持ちよく過ごしていただく援助者であるという視点をいつも持ち続けることが何より大切であるとしみじみ感じました。

また秦先生は、このところにブレなく強い意志で医療に向き合われているからこその医療なのだと改めて先生のすごさを感じる日となりました。

勉強会に参加させていただき本当にありがとうございました。

この日の勉強会後は交流会があり、みんなで美味しくお酒とお料理をいただきながらワイワイおしゃべりさせていただきました。

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