我が気持ちの動きよ

ある患者様からこんなことを言われました。

「朝採れいちごはおいしい、
夕採れいちごはもうしなびておいしくない。

あなたも朝一番の指からは活力がみなぎっているのに、
夕方になると力がなくなっている。
だからできるだけ朝一番に来てもらいたいんですよ」

自分ではそんなつもりはもちろんないのですが、
疲れてくると指から出る力が消えて行ってしまうのでしょうか。

患者様の言葉で、
自分の無力さばかりが見えてきます。
自分が能無しでダメダメな人間に思えてくるのです。

でも、別の患者様から
「指が身体に溶けて行くんですよ。
あなたの指は私の身体に合うんです」

なんて言われると、
ついさっきまでの悩みがきれいに消え去ります。

そうなると、
至って単純な人間なので、
マッサージでお金がいただけて、
ご飯が食べられて、
ついでに感謝してもらえるんだから、
神様に感謝しなきゃって思えてきます。

患者様のたった一言で涙が溢れそうな安心感を与えてもらい、
その一言で私は癒されます。

本当の癒しというのは、
身体が楽になるというような、
単なる技術の提供の中にはないのかもしれません。

我が治療院、最高齢の104歳の患者様は、
いつも私を優しく見ていて下さいます。

年相応に、
物忘れがあったり、
夜間にベッドの下から伸びて来る手に悩まされていたりされます。
(つまり、あり得ない物が見えたりするわけです)

でも、私が元気がないとすぐに見て取って励まして下さいます。

私自身はむろん何にも言わないし
普段通りにしているつもりです。
でも、いつも見破られます。

「今日は元気ないなぁ。
どうしたんや。
たまにはガツンと言ってやったらいいんやで。」

なんて言って下さるので、思わず涙が出ちゃいます。

そういう優しい言葉に勇気と元気をいただいています。

毎日、心を込めて一生懸命を信条に仕事をしていますが、
与える側という一方的な立場を超えたところに、
本当に心が溶け合うような安心感が生まれます。

私自身が癒されたと感じる時は
患者様の心も同時に癒されているような気がします。

意識して作れるものでもありませんが、
治療師という立場に胡座をかくことなく、
誠実に向き合う中でこそ訪れる瞬間なのかなと思います。

今回のブログは日々仕事をしている中での
気持ちの動きをつらつらと書きました。
書いていると我が身の未熟さを恥じ入るばかりですが、
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

患者様の家の近くで子ネコが生まれました。子ネコから人間の目をそらすため、母ネコが反対方向に歩いていきます

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です