「10年ごとに体力が落ちるから、施術のやり方を変え、最小の力で最大の成果を出すようにしていきや」と毎月治療し合っている鍼灸師の先生に助言いただいていましたが、本当に、寄る年波に疲れが取れません😢
昨夜も9時には眠くて眠くて…
マッサージ師は、基本全身を使って患者様の身体を治療していきます。私は、硬いコリを力で揉みほぐすことを技術の基本に考えてきましたから、先の先生からの助言は言われていることはわかるけど、その道筋が全く見えないものでした。
力でコリを揉みほぐすことが、マッサージ師の最大の課題だと考えてきたからです。
最初に働いた治療院の院長からは、硬いコリと向き合う姿勢を教わりました。「ジーンズの上からでもベルトの上からでもにっこり笑って、揉めなあかん」と教えられました。
マッサージ師になり始めた頃、硬いコリと格闘した指は、一人施術しだだけで、腫れて熱を持っていましたから、一日の終わりには、流水で手が痺れるまで、冷やさなくてはなりませんでした。
始めて一年くらい後には指が熱を持つこともなく、見た目は変形しているとわからないけど、親指の関節は、突き指状態に固まり、腕から続く一本の棒のようになりました。
おかげで、今では、小さな力でもぶれることなく、筋肉の奥まで指を入れることが出来ます。
その後、治療院の院長の師匠のところまで教えを請いに、しばらく通わせて頂きました。
院長の師匠という人は、15歳の頃から、按摩を始めた人でした。その先生の揉捏(じゅうねつ 、いわゆる揉みほぐす按摩の手技)はコンパスの針で刺しているように中心が全くぶれることなく筋肉の奥まで届いてくる素晴らしいものでした。後にも先にも先生の他にそのような揉捏(じゅうねつ)を味わったことはありません。
先生は、「按摩とは細かな筋肉を揉みほぐすことで五十肩も治療できる技術だ」と教えて下さいました。また、按摩術の中には、肉体を使ってできる治療の全てが含まれていて、全身を調整するために全身を揉みほぐす全てを教えて下さいました。
私は、先生のようになりたくて、先生のような技術を手に入れるためにずっとコリと格闘し続けてきました。
私たちの資格の正式名称は「按摩・指圧・マッサージ師」と言って、三つの手技からなっていますが、「あんま」という響きは、近代医療から離れた、慰安、肩凝りあんま、ホテルに出張みたいなマイナスイメージがあって、一般的にはあまり好まれず、「指圧」とか、「医療マッサージ」という表現が好まれる傾向にあるように思います。
しかしながら、按摩というのは、日本で江戸時代に完成したと言われている手技で、江戸時代には、全身調整の大きな役割を果たしていたのだろうと思います。
按摩は――あくまで私の個人的考えですが――
何の道具も使わず、指先の感覚だけを頼りに、身体の状態を探り調整していくには、かなりの経験を必要とするにも関わらず、
動かないために凝り固まる身体への対応、あるいは、医療の進歩により、不自由な状態に対する治療の必要性の高まりなどに対して、
技術改革を成し遂げてこなかったために、
西洋医学や、他の療法に主流の座を奪われたのではないかと思います。
肉体を頼りに生活を成り立たせていた時代とは違い、
熟練した施術師が少なくなった背景もあるかもしれません。
そんなこんなで、按摩はコリと格闘する手技という枠の中に押し込められ、治療師は毎日コリと格闘することを目的化してしまった側面があるのかなと思っています。
それでも私は、有り難い出会いの中で、按摩の技術のすごさに取り憑かれ、コリの正体はなにか?格闘すべきは何か?について考え続けてきました。
凝り固まったコリは力で格闘するものでなく、優しさで包み込むことなのかなというのが、今の私の答えです。そして、それは新しい技術ではなく、按摩の技術の基本に帰ることではないかと思っています。
最小の力で最大の成果を出すという考え自体が、コリの本質を捉えることの答えだったのです。
この続きは次回のブログで。